2011年12月31日土曜日

一年の終わり 2

本当は木曜日は、
妻の家族と過ごすはずだったのですが
いけませんでした。

そういうわけで今日は、(土曜)
妻の両親と
一緒に
餅作りをしました。
(とはいえ、私は周りでうろうろしていただけ。)

臼と杵で
餅つきしたいのですが
場所も道具もなく。
(教会が広くなったらみんなで餅をつきたいなと思いました。)


象印製
全自動餅つき機

BS-EB10










もち米を入れるだけ










30分ほどで

蒸して

突いてくれる。

楽ちん早い。





できました。


アツアツ。









普通のと

きな粉と

あんこ入り。


熱いから
丸めるのも大変。



うまくできました。


日曜の教会の
礼拝後の愛餐会に
持っていきます。


味は、ご期待ください。



なんだか水曜日が終わって
すぐに日曜日のようです。
時間の感覚がおかしいです。


ピリピ 2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

一年の終わり

水曜日
明日から冬休み。
休みに入り
ホッっとする暇もなく

水曜祈祷会のメッセージ。
疲れがたまり
家でゆっくりしたいという思いが
頭をかすめるが
それを踏む付け教会へ。


ローマ15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。


教会へ着くと
先生とカウンセリングの受ける方が
おられました。
今日は、帰れないなと思いました。
徹夜で祈らなければならないようになるなとおもいました。
(私の予想を超える時間となりました。)

メッセージを
終えて礼拝が終わると
フラフラでした。
(始まる前から疲れてはいましたが、
私なりに全身全霊でメッセージしたので
マラソンを走った後のような脱力感です。)

でも帰って寝るわけにはいかないので、
先生が気を使ってくださり
仮眠をとるようにいわれたので
お言葉に甘えて少し眠らしてもらい
カウンセリングと祈りに参加しました。

大幅の予想を越え
終わったのは
金曜日の朝でした。

終わったときは
フラフラのフワフワでした。
(でも、先生は、ほとんど仮眠もとらなっかたので
若い私が、フラフラならば、先生はそれ以上でしょう。)
教会の姉妹が応援に来てくれたことが励みとなり助けとなりました。

大変でしたが
今回のことは
とてもいい勉強となり
イエスの救いに
一片の疑いもないものとなりました。

また教会の一致がいかに重要かということ
自分の賜物をむげにしてはいけないこと
いろいろ教えられました。


1コリント12:27,28
27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。


教会の姉妹を残し
(姉妹も徹夜したのに午後まで奉仕したようです。)
先に先生と教会を出ました


使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。


先生は新年礼拝、日曜の礼拝のメッセージを
今からつくらなければならないので
大変だろうなと
一緒に歩きながら思いました。
(パソコンの前に座ったら、気を失うように寝てしまったそうです。)

家に帰ると
妻があたたかく迎えてくれましたが
病院(検診)に連れて行ってあげれないほど
眠く
一人で行ってもらいました。


つづく


2011年12月27日火曜日

クリスマス2

1月に森祐理さんを
 お呼びして集会を持つこともあり

今年のクリスマスは
ゲストを呼ばずに
クリスマス会を開きました。

毎年、
ゲストを招いての
クリスマス会だったので
どんな感じになるのかと
心配もありましたが、
とてもすばらしいものとなりました。

私的には
今までで一番良かったと言っても
過言ではないと思います。

始めて教会にこられる方や、
地域の方や
教会の方のご家族が
来れたのは、
とてもよい収穫だったとお思います。
(伝道された教会の皆様の実が、豊かに色づいたように思います。)

また、毎週練習したかいもあり
とても楽しいい劇ができました。
聖書の話を知らない方が来ている中でも
(クリスチャンばかりなら、もっとやりやすかったんじゃないかと)
しっかり演技ができ
わかりやすく
面白かったです。

バンドも、とても感動しました。
バンドは、新しい楽器に挑戦し
歌もハモッテ歌い、
練習を軽く聞いてはいたのですが
本番は練習以上に演奏できており
正直びっくりしました。
これなら
どこに呼ばれても恥ずかしくない
と思いました。
活躍の場所が増えると思います。

なによりも
すばらしかったことは
みんなが
すべてのことについて
楽しそうにしていたことです。

演技するにも
歌うにも
演奏するにも
ゲームをするにも
奉仕するにも
なんにつけても
ひとつになり
喜んで、
できたことは
とても良かったです。


Ⅰコリント13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。


ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。


新しく来られたかたにも
教会は楽しいところだという事が
伝わったんじゃないかと
嬉しいです。

そして、
イエス様の誕生を
本当に楽しんで
祝えたことが
嬉しいです。

水曜祈祷会

今週の

水曜祈祷会は

ローマ8:31、32から

神のすべての恵み

と題してメッセージさせていただきます。



ローマ8:31~39
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

2011年12月24日土曜日

日曜礼拝

次のの
日曜礼拝は

マタイ2:11から

贈り物 

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ 2:11
  そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

2011年12月20日火曜日

クリスマス

来週の
日曜日は、
クリスマス会です。

クリスマスと言えば、
お家を訪問するのに
妻とサンタのコスプレをして
行くことに決めました。
車を運転していくと
途中、何度も
往来の人や
すれ違う車の運転手の方に
見られて恥ずかしかったことを
最近、クリスマスと聞くたびに
この事を思い出します。
(とてもクリスマスを満喫しているようで、なにか照れくさかったです。
映画の中で、クリスマスにサンタのカッコをした強盗が
よく出てきますがそんなふうに思われてないことを願います。)


 ルカ2:10,11
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。


天使たちは
クリスマス(救い主の到来)の知らせを
まず、羊飼いたちに伝えられました。

神様は、その時代、
とるに足らない者と思われていた羊飼いにさえも
忘れずに、いやむしろまっ先に
貧しく困難な状況にある者に
良い知らせである福音(救い主の到来)を告げました。
その神様が、この日本を忘れるハズがありません。
必ず救いと助けがあります。

今、日本には、大変困難な状況にいる方や、被災された方がいます。
その方たちに福音の到来の知らせが届いていることを願います。


今、教会では
クリスマス会に向けて
歌や劇の練習をしています。

去年までは、
歌のゲストや
ゴスペルチーム
バイオリン奏者の方や
落語をされる方などなど、
をお呼びしてました。

今年は
ゲストなしで
教会のみんなで
劇と歌で
もてなすことになりました。

劇の練習に
参加できなかった方のかわりをしましたが
ついていけませんでした。
(どうも私は、大根役者のようです。
元歌劇団の方がいらしゃるので任せたいと思います。)
今回は観るほうで良かったです。

みんなの練習を
離れて聴いているうちに
子供の頃を思い出しました。

小さい頃の私は、
大き教会の礼拝堂のすみで
クリスマスにむけて
みんなが練習するのを
聞きながら遊んでいました。

なんだかその頃に
戻った気がしました。


ルカ2:13,14
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

素晴らしい神をほめたたえる
クリスマス会になりそうです。

水曜礼拝

今週の水曜礼拝は、

ヨハネ9:25から

こひつじの血と証し

と題してメッセージさせていただきます。


ヨハネ9:25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」

2011年12月16日金曜日

母親学校2

出産までに
母親学校なるものが
2回ほど開かれるのですが
1回目は欠席しました。

お父さんも1回は
出席して欲しいとのことです。
前回は
ほとんどの方が
おとうさんも参加していたそうです。

そんなわけで
わたしも寝不足で
ボッーとしながら
顔色も悪い中、
参加しました。

産婦人科につくと
10分ほど早い時間でした。
(少しでもゆっくりするとねてしまうのですぐ出てきました。)

教室に入ると
まだ誰も来ていませんでした。

今日、
先生をしてくれる
助産婦さんが
テキストと
りんごジュースをくださいました。
(なぜ、りんごジュースかは、謎です。後でお菓子もくれました。
 紙芝居でも見る気分です。)

一番乗りだったので
一番前の
一番目立つところに
座りました。

そのうち
みんな集まりました。
見事にお母さんばかりで
男は私ともう一人だけでした。
(みんな前回出たのでもういいだろうと
思ったのでしょう。)

すこし一番前に座ったことを後悔しました。

最初は
ビデオを見ました。
寝不足の私は少し眠くなりましたが
あまりのインパクトに寝ずに見れました。

内容が凄かったというより
いつの時代に作られたビデオかというものでした。
(服装から20~30年前。バブル真っただ中です。
すごい蛍光色のELLEのトレーナーを着ています。)
アラレちゃんのような服装をした妊婦さんと
漫才師コンビのオードリーの春日さんそっくりの妊婦さんから
目が離せません。

なんとかビデオも終わり
助産婦さんの
出産準備の講義になりました。

助産婦さんは、
とても優しそうな方で
ふくよかで
その教室の中で
ひとり妊婦でない女性なのに
一番妊婦さんみたいな体型でした。

その講義の中で
ひとつ心に残ったセリフがあります。

「命を生み出すというのは、
簡単なものではありません。
ぼんやりとしていて
生まれるものではありません
新しい命を生むためには
強い精神が必要です。」


クリスマスが近いですが
イエス様は、
永遠のいのちを与えるために
人として来られました。
それは、ぼんやり来られたのではなく
強い思い持ってこられました。


ヨハネ3:14,15
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。


そして、自分のいのちを与え死なれました。
モーセが蛇をあげたように
ご自分を十字架の上にあげて。
並大抵の強い精神力ではないでしょう。

それを伝えることが、
いのちを生み出すのであれば、
私も強い精神を持たなければならないと
気を引き締められました。

講義も終わり
体操の時間になりました。

助産婦さんが
誰か前で
やってくれる方を募りますが
誰も手を上げません。

私がするわけにもいかないしと
訳の分からないことを考えつつ
待っていると
助産婦さんが一言。

「よその旦那さんが見てたらやりにくいですか?」

もう一人の男の方は
後ろの目立たないところに座っています。
明らかに私のことです。
私は、真ん前の目立つところに座っています。
そりゃ目の前で
(寝不足で)顔面蒼白の
おっさんに
(寝不足で)しかめっ面で
見られてたら
若い妊婦さん方は、
体操なんてしたくないだろうなと考え
申し訳なく思っているところに
横に座っていた方が
手をあげて下さった。
ホッと一息。

体操も終わり
分娩室と
入院する部屋を見て
終わりました。

母親学校

日曜日、
教会のみんなが
帰ったあと
すぐから
先生のカウセリングの
サポートをする。

すこし、時間がかかりそうだということで
先生が食事をとっている間に
私は仮眠をとる。

小一時間、
眠ったあと
サポートして
祈る。

なかなか
根強いものがあり
明らかな進歩はあるものの
最後のあと一歩が進まない。
しかし、神がおられる事実と愛を実感し
素晴らしい奇跡の体験の時でした。

結局、朝の10時くらいに
時間オーバーで中断した。
(15時間ほど徹夜で祈りました。)

祈りは少し待機し
カウンセリング(対話)で
信仰をつけていくことに
することにした。


マタイ9:20~22
20 すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。
21 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。
22 イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。


どんな素晴らしい
先生でも
どんなにまわりが
一生懸命、祈っても
本人に問題を
手放す気がなければ
難しい。
本人の信仰が
第一なのだ。

イエス様も
多くの奇跡を
おこなったが
すべての人を癒したのではなく
その人の信仰をみて
癒された。

また罪がそれをとうざける。


イザヤ59:1,2
1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。


それを除くために
イエス様が来られた。
それを祝う日が
クリスマスです。

カウンセリングを終え
外に出ると
教会の姉妹が
もう来ており
伝道を済まし
待っていてくださった。
コーヒーを入れてくれたので、
お話しながら飲む。
とても癒される。

そうこうしていると
先に家に帰っていた
妻が車で迎えにきた。

家で祈っていると
寝れなくなり
待ちきれず迎えに来たようだ。
(仕事をちょうどおやすみしていました。)

帰宅する
車中で居眠りし
帰って
2,3時間仮眠をとる。

この日は、
母親学校なるものが
産婦人科で開かれ出席することにしていました。

2011年12月14日水曜日

水曜礼拝

今日の

水曜礼拝のメッセージは

マタイの4:1,10,11から

御霊の導き

と題して

メッセージさせていただきます。


マタイ4:1,10,11
1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

2011年12月10日土曜日

日曜礼拝

次の日曜礼拝は

マタイ3:16,17の箇所から

これはわたしの愛する子、私はこれを喜ぶ

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ3:16,17
16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

2011年12月9日金曜日

犬まみれ

水曜日、
先生のサポートで
カウンセリングとお祈りに
立会いました。

何回されている方で
状態は、ドンドン良い方向に
向かっていっているので
最後のツメの
カウンセリングと祈りでした。

良い方向には
向かっていうのですが
とても難しい状態なので
時間がかかることは
予想されていました。

午後3時半から祈り始めて
祈祷会の始まる
7時半までかかっても終わらず
祈祷会が終わってから続けることにしました。
祈祷会終了後、
1時間ほど休憩してから
始めて
終わったら
朝の8時でした。

礼拝時間を入れると
15,6時間祈っていたことになります。
その中でメッセージもしたので(声が枯れて上手く話せませんでした。)
大変疲れました。(身体も疲れるのですが、霊的な疲れ。)
まだ若い私でも
寝ずにいるのは
疲れるのに
先生はもっと大変だったでしょう。


マタイ8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」


祈りの結果としては
上手くいったのですが
最後の一歩だけ
うまくいかず
少し悔しさも残りましたが
時間的に体力的に
しょうがないものでした。

部屋を出ると
祈祷会に来て帰った姉妹も
もう来て伝道を一巡してきていました。
伝道してきて輝いている顔を見て
癒されるようでした。


コロサイ1:5,6
5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
 6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。


それから、家に帰り
妻を会社に送迎し
帰って少し仮眠を取ってから
働きにいきました。

薄着で祈っていたので(祈ると熱くなるので、すぐ上着を脱ぎ腕をまくってしまう。)
少し風邪もひいたようで
フラフラでした。

そのフラフラの中
最後の今一歩思いだして
悔しさを感じていると
先生から電話があり
最後の一歩が
上手くいった知らせを聞きました。


ヨハネ16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

夕方、帰宅し
妻の実家に行きました。

義妹もいて
久しぶりに
神学校の話を聞きました。
私は疲れて朦朧としていましたが
神学生のつくるプリンが
とても美味しいと評判だ
という話を聞きながら
ウチの教会のパテシエのつくるプリンには勝てないだろうなと
考えながらそのまま、コタツで寝てしまいました。

2時間ほど寝てしまいました。

起きると
実家の犬が
上に
横に
犬まみれで
寝ていたようだ。
何度か踏まれて苦しんだ記憶が蘇る。

イビキもかいていたようで
爆睡してしまいました。
 義妹には、奥さんの実家で
よく爆睡できるとあきれられる始末。
(だらしない義兄で申し訳ない。)

妻が言うには
結婚前から家に来ては
爆睡して帰っていたことを
聞かされる。
なんとも常識的には、
彼女や奥さんの実家では緊張するみたいだが
義父と義母の人柄で
いつも寝かせてもらえたように思う。

あまりに疲れていたので
銭湯に行って体を温めた。

体調管理も主の仕事の一つだ。
これぐらいでへばっているようでは
まだまだだ。
湯に浸かりながら
悔い改めました。



2011年12月1日木曜日

体操

最近、
夜中になると
妻が変な格好をしている。

うつ伏せになって
上にお尻だけをプリッと
出してジットしている。

お腹が大きいので
まるで、おすもうさんが
横で稽古前の股割りでもしているようだ。

あまりにおかしな格好なので
何をしているのかと聞くと
逆子体操だという。

前の検診で
逆子になっているから
しなければならないとのこと。

一週間続けて

教会で
先生に祈ってもらい
みんなにも
逆子が治るように祈ってもらい

いざ検診へ。

見事、逆子がなおってました。


マタイ18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。


最善を尽くして、自分で祈り、またみんなにも祈ってもらい、神の人にも祈ってもらう。
その結果は、必ず良いものとなります。

逆子が治ったお祝いに
妻の友達がくれた

巷で噂になっている
マダムシンコのバームクーヘンを食べました。
並んで苦労して買ってくれたみたいです。



パッケージは
オシャレというか
とにかく派手です。





中を開けると
豹だらけで

道頓堀を
大阪のおばさま達が
駆け抜けてくるような
衝撃です。

さすがわが街、大阪です。




噂になるだけに美味しくて

横で食べてる妻は
よくわからない雄叫びを上げてました。

バームクーヘンとカステラのいいところを
うまく出して
合わせたような味です。

冷やしても温めても食べられ
飽きずに食べれます。



感謝なことに、最近は、よく何かをもらえるようになりました。
しかし、前はそうではありませんでした。

昔の私は
人を批判して、
皮肉り
軽く見て
馬鹿にしていました。

最近の私は
人を褒めるようになり、
尊敬し
認めるようになり
敬意を払うようになりました。


 マルコ4:24 また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。


自分が変わるとまわりも変わってきました。
原因は自分にありました。

私は、
最高の愛をもらい
変わりました。

2011年11月30日水曜日

水曜祈祷会

今日の

水曜祈祷会は

ローマ6:4,5から

キリストにあずかるもの

と題してメッセージさせていただきます。

2011年11月25日金曜日

家族

今週の祝日は
充実してました。

祝日前の夜は、
教会の家族から
生まれて来る娘のために
タンスをいただけるということで
有難くいただきに行ってまいりました。

とても可愛いミッフィーのタンスをいただきました。

重いのに二階から運んでくださったようで感謝です。

子供用品を見ていると
ディズニーの用品より
ミッフィーの用品のほうが 
少し値段が高めだったりします。

自分では手を出しにくいミッフィーのタンスを
貰えてホクホクです。


行くまでは、ご迷惑になるからと
早々に帰るつもりでしたが
暖かいもてなしに
かなり遅遅までおじゃましてしまいました。
本当に楽しい一時でした。
本当に良くしていただき感謝感謝でした。

妻は、睡眠時間の限界がきていて
(もともと寝るのは早いのですが、妊娠してさらに早くなりました。)
帰る道中、車で寝ていました。

妻が寝ている横で運転して帰る中、
自分は本当に幸せだなと思いました。
教会の家族みんなに良くしてもらい、愛してもらい、
(若い伝道者は、よくいじめられると聞きますが)
任命を受けたときには招待され祝ってもらったり、
誕生日も祝ってもらったり、
今も助けてもらう毎日だし、

色々と考えると、
神様と
家族への
感謝で嬉しくて涙が出てきました。


エペソ2:19、20
19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。


教会でもなかなか一生懸命にしても、
愛が伝わらないときもありましたが
し続けるときに
必ず実は実ることを実感しました。

ガラテヤ6:9,10
9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。


祝日は、
朝から頼まれていた
ポインセチアを物色しに行き
その後、先生について行き家庭礼拝に行き
また、素晴らしい交わりの時、楽しい時となりました。

夕方からは、
水曜日だったので
水曜祈祷会です。

私がメッセージだったのですが、
楽しい時が続いたので
用意がギリギリまで、
できずに焦りましたが
聖霊様が助けてくださり
私の唇を通して
生ける御言葉を語らしてくださいました。


Ⅰコリント 1:27,28
27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

日曜礼拝

今週の
日曜礼拝のメッセージは、

使徒の16:30,31から

あなたが救われれば、あなたの家族も救われます

と題してメッセージさせていただきます。


 使徒16:
30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

2011年11月19日土曜日

水曜礼拝

今週の水曜礼拝は、

ルカ18:1~8から

失望せずに、いつでも祈り続ける

と題してメッセージさせていただきます。


 ルカ18:1~8
1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」
6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

2011年11月17日木曜日

待ち人

先日、
関西空港に
送迎に行きました。

久しぶりに
空港に行くので
ナビを睨みつけながら
車を走らせました。

りんくうの方まで来て
海上を通る橋まで来ると
ワクワクしてきました。
夜の海の上を走る車は、
空を飛んでるようにも思えました。

車を止めて
到着上に向かいました。
もうすぐ到着時間なので
走って駆けつけました。

すこし到着が遅れたみたいで
ホッとしました。

夜の空港は
昼と違い
閑散として
もの哀しくも
人ごみが苦手な私には
なにか落ち着きます。




昔、送迎しに行き
北出口と南出口を
間違い待っていたことがある
私は、ちゃんと出口も掲示板で見て
出てくる人一人一人
穴のあくように確認します。

家族が遠くに行くたびに
よく迎えに私は行きます。
また、教会の家族を迎えに行けて嬉しいです。

そして、この待っている時間が私は好きです。

いつもこんことを考えます。
ここにいるのに
実は待つ人がいないのに
待っていたら
悲しいだろうな。

(待つ相手がいるっていうことは有難いことだなと思います。)

ここで待っているのに
待っている人が
いつまでも来なかったら
哀しいだろうな。


黙3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


神様は私たちの扉をノックしてくれています。
そして、イエスキリストは私達がその心のドアを開けるのを待ってくださっています。

そのことを考えるに
私はなんと神様を
戸の外に待たせ
何十年も
ほっとらかしにしていたのだろうかと
思います。
しかし、待ち続けてくださりました。
そして今、ともに生きてくださっている。

主に待っていただいたから
私も、戸を叩くものとなり
ひとを待つものとなり
時を待つものとなります。


詩1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。


当り前ですが、
何十年も待つことなく
数分で、
出口から出てきました。

こちらを探してくれているそぶり(自分を探してもらえるのも感謝だ)
思っていたよりは、疲れていないようで安心しました。

「おかえりなさい。」

送る中、楽しい話ができました。

2011年11月12日土曜日

日曜礼拝

今週の
メッセージは

使徒5:29~32

聖霊により神に従う

と題してメッセージさせていただきます。

メッセージの前に
幸い薄く見ゆる日に
を歌いたいと思います。

使徒5:29~32
 29 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。
 30 私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
 31 そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。
 32 私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」

2011年11月11日金曜日

名前 2

今週の検診で

生まれてくる子が

女の子と確定しました。

もう1kgもあるそうです。

エコーを見ると
笑っているように
いつも写るので
妻はまた笑ってると喜んでいますが、
私は、たまたまじゃないの、なんて話しています。

多分もう女の子だろうと思い
少しづつ安いときに
服なんかを購入したりしていたので
嬉しいのとホッとしたような気持ちです。

子供のために揃えるものはたくさんあります。

服やタオルベビーカーにベビーベッドにオシメに子供タンスetc

大体は、揃えたのではないかと。
いかんせん
駆け出しの私には
なんでも買ってあげる余裕はなく
譲っていただけるものは
有難くいただいて(本当に感謝です)
揃えるのですが
初めてのことなんで
何がいるのかもよくわかりません。

子供が生まれる
準備というのは
大変だと痛感します。

しかし、生まれるまでには
必要なものを揃えていかなければなりません。


エペソ1:4,5
4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。


この聖書の箇所を
見ると世界があるから
偶然に生まれたわけではないことがわかります。

全て計画して
全て揃えて
そして神の子イエスキリストさえも
与えようときめていたことが。

世界が生まれる前から
愛し選び準備してくださっていた。

というよりも
世界は私たちのために
神が作られたと言っても
過言ではないでしょう。

自分が子供ができてから
神様の愛が
前より分かり
感ずることができるように
なったように思います。

続く

2011年11月9日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

箴言4:20~23から

「命の泉」

と題してメッセージさせていただきます。


 箴言4:
 20 わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
 21 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
 22 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

2011年11月2日水曜日

水曜礼拝

今日の

水曜礼拝は、

Ⅱサムエル16:12,13から

主は心をご覧になり報いて下さる

と題して

メッセージさせていただきます。



Ⅱサムエル 16:12 たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
 16:13 ダビデと彼の部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと平行して歩きながら、のろったり、石を投げたり、ちりをかけたりしていた。

2011年10月26日水曜日

水曜礼拝

今日の

水曜礼拝は、

Ⅰコリント13:1~4から

愛が無くては

と題してメッセージさせていただきます。


 Ⅰコリント13:1~4
1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

2011年10月25日火曜日

靴下

今日の朝、
車に乗っていると
登校途中の学生たちが、
たくさんいました。

教会の子達も
みんな登校中だなと
考えながら

信号待ちで
ぼーっと見ていると
目を疑いました。

女の子が
自転車で登校しているのですが
遠くから見ていると
何かおかしい。

片足だけ余りにも太く
白い靴下だけはいて
靴は履いてないようです。

近づいて来たので
よくよく見てみると
遠くから白い靴下を
履いてるように見えたのは、
白いギブスでした。

ギブスといえば
松葉杖を連想し、
痛々しい感じがしますが
自転車を乗る姿は
私にとっては、
カルチャーショックでした。

ギブスを片足に
颯爽と自転車を駆る姿は
なかなかたくましく

男子学生を抜かして行く姿は、
微笑ましく
勇ましい感じがしました。

ケガというハンデを
ものともしない
力強さを感じました。


ローマ5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。


神様も
私たちが
ハンデや問題などに
打ちあたっても
それを乗り越えて行く姿を
望んでおられるのではないでしょうか。
そして、その経験を活かし
成長することを。


ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。


また、その力を
神様はくださいます。

生まれてくる子供も
あれくらい
逞しく生きて欲しいと
思いました。

2011年10月22日土曜日

日曜礼拝

日曜礼拝の

メッセージは

復活のイエスを見る

と題して

ルカ24:31~34から

お話させていただきます。


ルカ24:31~34
31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。

2011年10月21日金曜日

名前

最近、忙しく
なかなかブログもアップする
時間がありません。

時間のない中で
子供の名前を決めるのに
頭を悩ませています。

うちの牧師先生に
名前を付けるのを
頼んだのですが
「(あなたも主の僕なので)自分で決めては?」
とのこと。

歯磨きのメーカーの
ライオンは
初代の社長がクリスチャンで
行っていた教会の牧師先生に
名前を決めてもらって
付けたそうです。
今では大きな会社になりました。

前から子供の名前には

という字をつけたいなと
考えていました。


 Ⅱテモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。


私が主と歩むようになって
この慎み(バランス、調和の意味が含まれる)が
とっても重要で大切であることを
痛切に感じています。

その重要な慎みの字を
名前に入れたかったのですが
まだ、確定ではないのですが
女の子のようなので
その字をいれた
いい名前が思いつかないので
今、頭を悩ませています。

聖書の意味を含んだ
日本名で違和感のないものに
してあげたいと思います。


 Ⅱコリント2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。


この箇所から
神(キリスト)の香りを放つものとして
エリという言葉に神と言う意味があるので
エリカと言う名前は
いいなと考えてましたが
この御言葉と
真逆の人が
芸能人に同じ名前で
いるので却下しました。

続く




2011年10月18日火曜日

水曜礼拝

今週の

水曜礼拝は

ヨシュア記の1章9節から

「主、はあなたと共に」

と題して

メッセージさせていただきます。

霊の賜物の

お話をさせていただいていますが

続けてさせていただきたいと思います。

また、合わせて

Ⅰコリント12、13、14を

見ていきたいと思います。




 ヨシュア1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」


2011年10月12日水曜日

水曜礼拝

今日は、

天国に入る道。

と題して

メッセージさせていただきたい
と思います。

ルカ16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

2011年10月7日金曜日

日曜礼拝

日曜日の礼拝の

メッセージは

ローマ6:5から

イエスによる復活

と題して

話させていただきます。


ローマ6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

2011年10月5日水曜日

種蒔き


10月7日(金)pm7:00~
10月8日(土)pm1:00~ 

シンガポールから

アオウ コンブウ先生とメイ コンブウ先生を

お呼びして集会を持ちます。
(大阪市天王寺区真田山町1-1、入場無料。席上献金あり。)

これで
両先生が教会に来られるのは、

3度目になります。

前回、来られたときに

先生に預言していただいた後、

こう言われた。

「種蒔くものが、大変だったり疲れるのは当然ですよ。

田を耕したり、腰をかがめたり、雑草を抜いたり。

それは種を蒔くために当然しなければ、ならないことですよ。」

優しく丁寧に、また諭すように言われた。

先生は、
私が献身者であることも、
私の状況も知らないのに、

私への適切な助言をしてくださった。

その時の
私は自分の働きや伝道が
上手く言ってないように思い、
何か失敗しているような気になっていた。

そして、
ただ無駄なことをして
疲れているのではないのかと
迷いが生じていた。

しかし、
先生を通して
そうじゃにということが
はっきりわかった。

全ては、
蒔き
刈り取りをするための
過程だった。


 詩篇126:5,6
5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。


私達が

苦労して蒔いたものは、

必ずそれに見合うだけのものとなり

刈り取ることになる。

蒔けば蒔くほど。

悲しみは、喜びに。
蒔くものは、刈り取り。
疲れは、癒しに。
貧しさは、豊かさに


Ⅱコリント9:10~12
10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。
12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。


蒔くための、必要は備えられ、増やされ

実は 豊かに実る。

感謝は、神への感謝となり

満ちるだけにと止まらない。

多くの神への感謝が

満ちあふれさせる。


そのとおり、
前回の集会よりも
備えられ、増やされたように思う。

今回の集会も
豊かな実をみることで
期待いっぱいで
楽しみで
待ち遠しい。

水曜礼拝


今日の水曜礼拝は、

申命記28:1,2から

「御声を聞く」

と題して

メッセージさせていただきます。

私の体験も交えて話していきたいと思います。


申命記 28:1,2
1 もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。

2011年9月30日金曜日

イモ掘り 3

第2京阪が出来てから
大阪から京都に
行くのが早くなりました。

前までは高速乗るには
中途半端な距離で
乗り口も遠い、
遠回りになるし、
下道は、いつも渋滞している状態。

1時間弱で
姉妹のお家に着きました。


エペソ2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。


遠く離れていた私達が
近いものとされました。
それは本当に喜ばしいことだ
それはキリストによるものだ。

お家に着くと
お家の子が出てきてくれて
喜んで迎えてくれました。

いつも教会で
ピアノの伴奏をしてくれ
また私に歌の練習までしてくれる
教会の子です。

私の甥のようであり
息子のようであり
弟のようである。(弟にしては年が離れすぎか(^^)

とにかくかわいい
私の家族である。


エペソ2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。


信仰の巨人であるパウロもテモテには優しかった。
パウロもこんな気持ちだったのかな?


お家の中に入ると
教会の姉妹が先に来ておりました。
西宮から来たから遠かったろうに、
すぐ着いたとのこと。
韓国の祈祷院に何度も足を運ぶ
姉妹にとっては西宮、京都間は、すぐなのだろう。
この姉妹のバイタリティには、
いつも驚かされる。
今は、商店街を伝道しまっくっている。


ローマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。


まず、みんなで礼拝しました。
(賛美をして、祈って、聖書を読み、聖書の話を聞く)

そして、祈って仏壇を出し先生の指導のもと壊しました。
(こういうものは祈ってからするべきものだ。
また、先生、教会の導きの元することが良い。
手前勝手の考えでする人もいるが
勇気と無謀とは似って非なるものであり
信仰と無知もそうである。)


使徒 8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。


どんな時でも導く人は必要であり
その教えを聞き従うことは大事なことだ。


先生が壊していくところから
みんなで片付けていきました。


ローマ12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。


そして、
そのあと
姉妹のお父さんの畑で

イモ掘りをさせていただきました。


イモ掘りと聞いて
妻のテンションが
ドンドンドンドン上がっていくのを

横目に私は写真撮影に励みました。



姉妹のお父さんは

とても優しい方で

みんなが掘りやすいように

下準備をみんなしてくれました。

先生も採らしてもらいました



多分
そんなことなら
ご自分で掘られた方が
楽でキレイに
採れたろうにと

妻が「キャーキャー。」
言いながら
イモをほっている横で

感謝なことだと考えました。



たくさん

採れました。







一つの望みに生くる 

はらから共に集い
互いに仕えむつめば 

世になき安き満ちて 

あめなる喜びあふる 

麗し神の民よ
いざ共に讃え歌わん 

恵み深き主のみ名

(讃美歌Ⅱ 157 2番)




ゴボウ掘りも
させていただきました。

私もさせていただきましたが
うまく抜けずに
先が抜けずに
残ってしまいました。

なかなか体験できないことを
させていただき
ご飯もごちそうになり
とても感謝な一日でした。

2011年9月28日水曜日

イモ掘り2

お義父さんたちと
激安の家具屋さんに
行きました。

ここは家からは、
少し遠いのですが
とても安いいので、
他の家具屋さんと
値を比べると
中古の商品を置いてるんじゃないかと
思うくらいの値段ですが
アウトレットの新品を置いています。

でも、少し
名前が、恥ずかしいです。

激安 家具屋さん ウンコちゃん


良く選べば、
とてもいいものが、
安く買えます。

妻の
お腹が大きくなってきて
ベッドで寝るのが
辛くなってきたので
ソファーベッドを
少し見ました。

1万円以下で
なかなか良い
ソファーベッドが
たくさんありました。

学習机なんかも
ありえないくらい安く
まだ早いですが(早過ぎますが)
チラチラ見ました。


良いものが安いというのは
当たり前ですが
いいことです。

高級料理を
高いお金を出して
食べて
美味しくなかったら
腹が立つものです。


ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


ヘブル2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。

しかし、神様は
人を救うために
大きい代価を払い
自分の子を与えてくださった。

到底、割に合わないはずなのに
神様はそれを見て満足してくださった。
愛ゆえに。



久しぶりに
お義父さんたちと
出かけたので
二人ともとても嬉しそうです。

どこに行くからではなく、
一緒にいるってことは
大事なことだと
思いました。

聖書には沢山
親孝行について
書いています。


 申命記5:16 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。

親孝行することは、
当前のことですが、
そうすると
神様が
長く生きすることを約束してくださり
幸せにしてくださるのだから
こんないいことはない。
どんどんしないともったいない。

一緒にお茶をすることにしました。

前から行きたがっていた
甘党まえださんに行ってきました。

ここのみたらし団子はとても美味しくて
餅がモチモチで初めて食べた時、
びっくりしました。

かき氷も
おすすめで
氷が細かく
フワフワで口でとろけます。





お昼の時間だったので
本当は、一緒に
にゅうめんを
食べようと話していたのですが
ここのお店では、
メニューにありませんでした。

にゅうめんの口になっていた
お義父さんお義母さんには
申し訳ない限りだ。


お昼が、かき氷になってしまいました。
ダイエットになるのかならないのか
微妙です。

お店を出て
お義父さんたちと別れ
先生たちと
教会の姉妹のお家に向かいました。

続く

2011年9月27日火曜日

水曜礼拝

 今週の水曜礼拝は、
先週の続きの

堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かう 2 を

イザヤ49:16 の箇所から

お話させて
いただきたいと思います。

イザヤ49:13~16
13 天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。
14 しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた。」と。
15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
16 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。


神様は、
私たちを手のひらに
刻んでくださいました。

なぜ、手のひらに?
刻んだのか?

その辺も
話していきたいと
思います。

2011年9月22日木曜日

日曜礼拝

日曜日の礼拝のメッセージは、

イザヤ53:11から

イエスの光~いのちの激しい苦しみによる実り と題して

メッセージをさせていただきます。

少し十字架について

重複したことを話しますが、

とても重要なところなので

あえて何度も

お話させていただきます。


イザヤ53:11

新改訳
 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

口語訳
 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

新共同訳
 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。

2011年9月21日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

Ⅰペテロ5:8,9から

堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かう です。


Ⅰペテロ
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。


今日は、
特別に示されるところがあり

今まで、あまり話さなかったことを

お話したいと思います。

2011年9月20日火曜日

イモ掘り

昨日は、久しぶりの祝日だった。

せっかくの休みなので
遅くまで寝ようと思っていましたが、
朝早く起きてしまった。

その日の予定は、
午前中は、
お義父さんとお義母さんに
激安の家具屋さんのことを話したら、
行きたいとのことだったので、
案内すろことを約束していました。

午後からは、
教会の姉妹の家に
仏壇を取り除きに行く予定です。

お義父さんたちとの約束までは
まだ時間がありました。
ニュースをボーッと見ながら、
二度寝しようかな?と思いながら
妻がナワテベーカリーのパンを
食べたいと言っていた事を思い出しました。

ナワテベーカリーは、
実家の地元のパン屋さんです。(今住んでるところからは距離があります。)
お客さんが2,3人入れば動きがとれないくらい小さな店ですが、
食べれば何か懐かしさを感じるような味わい深いパンを売っておられます。

妻は、ここのボインパン(バターパン)が大好きです。

妻が寝ているうちに買ってきて
びっくりさせようと思いました。
急いで着替えると

妻が物音を聞き
「どこ行くの?」

「パン屋行ってくる。」と私。

「私も行く!!」とのこと。

二人で車に乗って買ってきました。
ボインパン。

なんの変哲もひねりもないパンですが
これがなかなか、やめられない。

食べるとふわっと、
噛むとバターがジュワっと。

まさに王道。

大きなパンですが、
すぐに食べてしまいました。


聖書にはパンの話がたくさん出てきます。
例え話、作り方や食べ方まで。
食物=パンとして書かれています。

有名なところではこの箇所でしょう。


 マタイ4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである』と書いてある」。


これは、簡単に説明すれば、
パン(食物、経済)は人にとって、とても大切なものです。
しかし、もっと大切なものがありますよ。
それは、天の恵み(祝福{神の口から言葉と共に出る息GODBLESS})
そして、天の真理(教え)(神の御言葉)です。

パンを食べながら
NHKの「おひさま」なる連続ドラマを見ました。
(毎日しているみたいですが、月一ぐらいでたまにしか見ません)

この日の回は
夫が、自分の夢のために
家族を置いて遠くに行ってしまいます。
それを心配して
妻がそこに行くというものでした。

ドラマの中の
夫は、妻の顔を見て一言。

「どうした?」
それを聞いて、その人の妻は困り顔。

これを聞いた私の妻は、怒っています。

「こんなこと言われたら、たまらない。(子供置いて自分も置いていって心配してき来たのに。)」
そのヒロインの気持ちになってプンプンしています。

「じゃあどう言うたらいいの?」と私。

「知らん!!」と妻。
その前に置いて行くなってことでしょう。

プンプンしているので
少しおどけて、
私はドラマの夫役のマネをして言いました。

「どうした?」と私。

キッと妻は、私を見ます。

「眉毛は、どうした?」とまたモノマネしながら私。

妻は、まだ
ノーメークで
眉毛が半分しかありませんでした。

妻は、笑いながら
「これでも大分(昔に比べて眉毛が)生えてきたでしょ。」

「そうやね。」と私。
眉毛のない妻とパンを食べながらテレビを見て
笑い転げました。


ピレモン1:7 私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。


イエスさまは、多分優しくて、楽しい方だったと思う。
難しい顔をした人のところに子供はやってきません。
しかし、イエスさまの周りには、子供が近づいてきました。
柔和で笑顔を絶やさなかったのだろう。

イエス様のように愛を与え、喜びを与え、人を力づける
そんな神の喜ばれる人となっていきたい。


ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。


どんな時でも、どんな状況であっても、
喜べる強いものとなりたい。

そのために辛いときには
祈って
自分の心に命ずる
「(神様が共にいて守って下さるから)喜べ。喜び叫べ。」と。

笑っているとイイことが、後からついてきます。
午後に会う姉妹から妻にメールが来ました。

メールを見た妻は、
「ヤッター。」叫んでいます。
聞いてみると
午後に姉妹のお父さんの畑でイモ掘りさせてもらえるとのこと。
「イッモホリ。イッモホリ。」
よくわからない自作の歌を歌っています。
妊娠してるのにイモを掘れるのかなと思いながらも
テンションの高い妻を尻目に
聖書の勉強をしていると
いつの間にか時間は過ぎて
お義父さんたちがやって来ました。


続く

2011年9月17日土曜日

私にも夢がある。

I Have a Dream.


   友よ、私は今日皆さんに 申し上げたい。 
 
今日も 明日も いろいろな 困難や挫折に 直面しているが

それでもなお 私には夢がある。

それは   アメリカの夢に深く 根ざした夢なのである。

 私には夢がある。

いつの日か この国が 立ち上がり、わが国の信条の

次の言葉の真の意味を貫くようになるだろう。

『私たちはこれらの真理を自明の ことと考える。

すなわち、全ての人間は平等に造られている』。

私には夢がある。

いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちと

かつての 奴隷主の子孫たちとが、 共に兄弟愛のテーブルに

着くことができるようになるだろう。
 
 私には夢がある。


 いつの日か  このミシシッピ州も、 このような不正義の暑さにうだっており、

このような抑圧の暑さにうだっている  この地域でさえも

 いつの日か  自由と正義のオアシスに変えられることであろう。 

私には夢がある。

いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価されるのではなく

彼らの人格の深さによって  評価される国に住めるようになることであろう。

 私には今日、夢がある。

私には夢がある。

いつの日かこのアラバマでも、 目下のところ悪意に満ちた民族主義者に牛耳られており、

連邦の決定に対して 知事の口から 「干渉」とか「取消し」という言葉しか出てこない

このアラバマ州においても、 いつの日か幼い黒人の少年たち・少女たちが、

幼い白人の少年たち・少女たちと手をつなぎ、

兄弟姉妹として歩けるようになることであろう。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。



イザヤ40:
4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。

盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

5 このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。

主の口が語られたからだ。」

     
これが私たちの希望なのである。


 こういう信仰を持って、私は南部に帰る。

 こういう信仰があれば、私たちは絶望の山から希望の石を切り出すことが出来る。

 こういう信仰があれば、私たちはこの国の騒々しい不協和音を、 

 兄弟愛の美しいシンフォニーに変えることが出来る。


こういう信仰があれば、 私たちは共に働くことができる。

共に祈ることができる。

共に闘うことができる。

共に監獄へ行くことができる。

共に自由のために立ち上がることができる。

いつかは自由になると信じることができるのだ。

その日こそ、神のすべての子どもたちが、

あの歌を新しい意味を込めて歌ことができる日となるであろう。

わが国、それは汝のもの、麗しき  自由の国。

われは汝を讃える。

わが父祖たちの死せる国、巡礼父祖の誇れる国、

すべての山腹から自由の鐘を鳴り響かせよもしアメリカが偉大な国になるべきなので

あれば、このことが実現しなければならない。
   
だから、自由の鐘を鳴らそう   ニュー・ハンプシャーの大きな丘の上から。

 
自由の鐘を鳴らそう、ニューヨークのそびえ立つ山々から。


自由の鐘を鳴らそう!
 
ペンシルヴァニアのひときわ高いアレゲニー山脈から!
 
 自由の鐘を鳴らそう!

コロラドの雪を頂くロッキー山脈から!

 自由の鐘を鳴らそう!

カリフォルニアの曲がりくね った坂道から!

それだけではない。自由の鐘を鳴らそう!

ジョージアのストーン・マウンテンから!

自由の鐘を鳴らそう!

テネシーのルックアウトマウンテンから!

自由の鐘を鳴らそう!

自由の鐘を鳴らそう!

ミシシッピのすべての丘やモグラ塚からも!

 山腹のいたるところで 自由の鐘を鳴らそうではないか!

 私たちが自由の鐘を鳴らせば、その時にはすべての村という村で、

すべての集落という集落で、すべての 州という州、街という街において、

神の子どもたちとなったすべての者らが、
 
黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、プロテスタントも
カトリックも、

 すべての者らが手に手を取って、

あの古い黒人霊歌を口ずさむようになることであろう。

「自由だ!自由だ!   全能の神に感謝すべきかな。  私たちは ついに自由になった!」


                               
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
1963.8.28.ワシントン大行進でのメッセージ



キング牧師は、
人種差別が
吹き荒れる中、
私には夢がある。(I have a dream.)と叫び
とうてい、
その当時では、
実現不可能な
自由宣言し
夢を語った。

しかし、
今それは実現し、
いや、期待し希望したもの以上のものが
考えうるもの以上のものが
現実となった。

そこにはキング牧師が
夢の実現のために
前進し努力し
その命を
注ぎ削ったからからだ。


 ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。


今、その夢の証である
アフリカ系の大統領は言う。
私たちには出来る。(Yes.We can.)と。


ある人は言う。
誰でも努力すれば、夢がかなうわけではない。
しかし、夢を叶える人は、皆すべからず努力している。と。

しかし、イエス様は、言われる。


マルコ 9:23 「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」



私たちが夢を持ち、
前進し努力し
信じ続けるのなら
それは、実現するのである。

それがイエスの名によって
するのならなおさらである。

イエスによって夢を持ち
イエスによって歩み
イエスによって信じるのなら
イエスによって実現するのだ。


 ヘブル10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。


私たちは夢を語ろう。
希望を告白しよう。

私も言おう。

私にも今日、夢がある。

私にも夢がある。

私は今日、イエスキリストによる夢があり、希望がある。



2011年9月14日水曜日

水曜礼拝

今日の
水曜礼拝の
メッセージは
心の一新です。


ローマ12:
1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
 2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

2011年9月13日火曜日

バタフライ

最近、
日曜日の礼拝の
メッセージ(お話)も
させてもらっています。

私などが、
講壇に、それも日曜日(聖日)に
させてもらえるとは
本当に感謝だ。

私は、
先生がされているような
メッセージは、できないので
違う角度からの
視点のお話をしようと
考えています。

しかし、
できれば大胆に
神の愛(福音)を
語るようにと
務めています。


エペソ6:
19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。
 20 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。


パウロは、
鎖につながれながらも
みんなの祈りのおかげで
大胆に語り福音を
のべ伝えました。

私のために
とりなして祈って下さる方が、
いるゆえに
メッセージするときに
自分以上のものが
満ちてくるのを感じます。

とはいえ、
まだ私は未熟で
牧師先生にも
叱られることも
多々あります。
訓戒を胸に
さらなる高みまで
登りたい
そう思います。

話は変わりますが、
自分のメッセージの後は、
なぜか、いつも以上に
お腹が空きます。
礼拝が終わると
お腹がキュルキュル鳴っています。


マタイ 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」


イエス様は、人はパン(食物)だけで生きる(肉体的な生)のではなく、
神の御言葉(聖書)によって生きると(霊的な生)
言われました。
霊的にお腹が、いっぱいになると
今度は
(肉的な)お腹が、悲鳴を上げるようです。

日曜礼拝の後の
昼食は、
奇遇にも
パンでした。
牧師先生がパンを
ドンドン
焼いてみんなに配り
ある意味、聖餐式(パンとぶどう酒を飲む式)のようでした。

姉妹が
自家製のイチジクのジャムを
ちょうど(パンって知っていたのかな?)
作って来てくださっていました。
初めてイチジクのジャムを
食べました。
美味しくて塗りすぎたように
思います。

また、別の姉妹が
ポテトサラダを作ってくださっていました。
じゃがいもの好きな
私は、
妻が礼拝所にいる間に
3回も、おかわりしてしまいました。
(ダイエットもうまくいかないはずです。)

さらに、別の姉妹が
シチューを作って下さっていました。
パンとシチューの組み合わせは、
なんて合うんだと、
食べていると
中にヤングコーンが
入ってました。
(シチューにヤングコーン入れるんですね。)
私はヤングコーンのあの食感が大好きです。
レストランのサラダバーなどで、
ヤングコーンがあれば、
お皿にそれだけを山盛りにして持ってきて
妻にいつも、あきれられているほど、食べて
メインが食べれなくなるほど好きです。

満足しながら
食べていると
教会の子供たちとプールに行く時間になり
ヤングコーンに
後ろ髪を惹かれながら行きました。

教会のすぐ後ろにプールが
市民プールがあるので
リーズナブルで便利です。
冬はスケートもしているそうです。

台風の影響か、
その日は晴れていたのに
プールは、混雑もなく
ノビノビ泳ぐことができました。

私は、深い方のプールに
行きました。
一緒に行った子は、
泳ぎがうまく
背泳ぎやバタフライを
器用に泳ぎます。
対する私は、クロールの泳ぎ方も
半分忘れている始末です。
バタフライの泳ぎ方を
少し教えてもらいましたが、
とても、うまく泳ぐどころか、
手が飛んでいってしまいそうなので
平泳ぎでチョロチョロ泳ぎました。

浅い方のプールに行くと
顔を水につけれるようになったから
見て欲しいとのこと。
見ていると
真剣な顔で水に向かって
睨みつけたかと思うと
水に顔を付けて1秒ほど付けて
水に濡れた顔をふきながら

「見てくれた。」叫んでいます。

「すごい。顔付けれたね。」と私。

ドヤ顔(得意気な顔)で、嬉しそうです。
(この前まで、上手に泳ぎを教えてくれる姉妹が、
顔付けてご覧というと「死ぬー。」と絶叫してたことに比べたら大躍進です。)
(その子の3才の弟に、顔を付けることを教えたら、ものの数秒で出来たのは内緒。)

時間が来たので
みんなに帰ることを告げると
3才の男の子が
帰りたくないと泣きながら
洗面所の方へ走っていくので
慌てて追いかけると、
シャワー室の下に貯まっている水の中で
「俺は帰らんぞ。」とばかり、
大の字で寝ていました。
そこをかつぎ上げて
教会まで帰ってきました。

帰ると交わり会(談話会)が
始まっていたので
慌てて参加しました。

その日は
東北大震災のチャリーティーコンサートもあり
みんなで参加しました。

プールで疲れた私は少しコクコクしながら
素晴らしい歌声を聞きました。

そして、帰宅しました。

少ししか泳いでないのに
身体ギシギシで痛いです。
(運動不足を実感。)

私がプールに行っている間、
教会ではぶどう狩りの話で
盛り上がっていたみたいで、
妻は、
また熱くブドウ狩りに始まり
ナシ狩り、イモ掘りの
話を聞かされました。

妻が、ぶどう狩りの話をするのは、
お花畑で蝶々(バタフライ)を追いかけてるよう少女のように
楽しげでした。

どうせ行くなら
教会のみんなで行くなら
楽しそうだ。


ヘブル10:
24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。


2011年9月9日金曜日

ビデオカセット

定期的に妻の妊娠検診のために
産婦人科に行きます。

女性スタッフだけというのが
病院のウリです。

その効果か、
とにかく混んでいます。

7時半予約で
11時に終わるなんてことは
ざらです。

最初は車で待っていたのですが、
最近は一度家に帰って待っています。

待っている妻も大変そうだ。

最初、米粒ほどだった(3ミリほど)だった
お腹の子も
もう、16,5cmにもなっているそうです。

子供が大きくなるのは、あっという間です。

と、
一人前の父親みたいのことを言ってみる。

病院で
エコーの動画を
録画してくれるとのことだ。
録画用のビデオカセットを
持ってきて欲しいとのことで
この検診で持っていきました。

検診から妻が
帰ってきて見ようと言うのですが、
さすがに
レンタルビデオもDVDの時代、
再生デッキがない。

しょうがないので
私の学生時代からの愛用の
埃のかぶったビデオデッキを
引っ張り出してくる。

カセットを入れると
なんとか動くようだ。

3分ほどの
白黒のエコーの画像の動画を見る。

アッチからのエコー画像
今度はコッチから。

寝ているらしく動かないし、
よくわからない画像だ。
しかし、必死で見ている自分がいる。

股のところに写ってないので
女の子かもしれないとのこと。
(男のこは、すぐわかることが多いが
女の子は確認ができないので断定はできないらしい。)

見終わると
妻が巻き戻し、
間髪入れず、
最初から見始める。

私は、「何度も見るほど、面白い映像じゃないね。」と言うが、

「そう?」と気にせず見る妻。

次の日、
体調が崩れ、仕事を休んだ妻は、
お義父さんとお義母さんと
合わせて、
5度ほど見たそうだ。

見るたび
みんなで、
ニヤニヤしながら見たそうだ。

孫が生まれるのを
今か今かと待ちわびているようだ。
もともと優しいお義父さんとお義母さんだが、
最近、さらに私にも優しいように思う。

ひとつの命が生まれるということは、
こんなにも喜ばしいことなのかと実感する。
まだ、生まれてもいない
子のことを話していると
なんとも今まで味わったことのないような感情が湧いてくる。
(これが親から子への愛なんだと思う。)

私の生まれるときも、そうだったのかと
親への感謝の気持ちが出てくる。
(親の期待には添えないで親不孝に生きてきたように思います。)
自分が献身(神の道に入ること)の決意を語ったとき、
父は「こんな嬉しいことはない。」と泣いた。
初めて父の涙を見たように思う。
これからは、少しは期待に答えたいと思います。


神様は、人を創造されました。


 創1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
 28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
 29 ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
 30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。
 31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。


神は6日目に
人を創造し
祝福し、
支配権を与えている。
食物を教え与えている。

そして、見て太鼓判を押している。

「それは、非常によかった。」

この御言葉に神様の喜びの気持ちが伝わってくるようだ。

親になろうとしていることによって
この神様の気持ちが少しだけでも、
わかってきたように思います。

そして、父なる神に対しても
親不孝(?)してきたので
これからは(命懸けで)期待に答えたいと思います。

2011年9月5日月曜日

日曜日と水曜礼拝

今度の日曜日は、
ラザロの復活のところから
メッセージさせていただきたいと思います。


ヨハネ11:
32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。      もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
 33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
 34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
 35 イエスは涙を流された。
 36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
 37 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」と言う者もいた。
 38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。
 39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
 40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
 41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
 42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
 43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
 44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」


私の好きな箇所で
よくメッセージを
させていただいているところですが
導きを感じるので
この箇所をしたいと思います。

十字架の箇所のメッセージの続きが
まだ残っていますが、
先になりそうです。
十字架の話は、毎回する話ではあるのですが。

水曜祈祷会のメッセージは
先週に引き続き
聖霊の話の続きをしたいと思います。


ヨエル2:
28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
 29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
 30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
 31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
 32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。


個人的には
霊的な話は、まだしたくないのですが、
必要になってきたと思うので
続きをします。

2011年9月1日木曜日

さくら

家庭礼拝を
姉妹の家でしました。

前日から
手土産は、
買ってあるので
準備はバンタンです。

朝、先生から電話があり
コストコで
ピザを手土産に買ってきなさいとのこと(あと、教会で使うお水と)
お店は、尼崎にあるので
お家は、西宮なのでお隣の県だから
そんなに遠くない。

2時間前に
車に乗って出発。
じゅうぶん、間に合う時間。

高速に乗ると
お休み中で
みんな、遠くにお出かけしているのか
ガラガラで
20分もかからず
コストコ到着。

コストコ

さっきの高速とは真逆で
人の波でひしめき合っている。
カートを押して入る場所もない。
(また、カートが大きい。スーパーのカートの倍。でも、水を載せるためには必要)

なんとかかんとか
ゆっくりそろそろ
他のカートとの接触をしないで
水の売り場に到着。

あれ、
いつも買っている水がない。(500ml×35本 580円 とても安い。)
山のように積み上げられているものがない。
1Lは、あるのですが。(500mlが欲しいとのこと)
結局、大きなカートを押して
大きい店内を回ったのに
何もカートに入れず一回り。
まわりの方が迷惑そうに見ている。(申し訳ない)
妻も少し急いで私にフーフー言いながらついてきている。

時間と気をすり減らし
フードコートのピザ売り場に(店の構造上、先に注文できない)
また行列ができている。

なんとかレジに、
たどり着き注文する。

待てど暮らせど出来上がらない。
聞いてみると私の前に10人くらい
先に注文した人がいたようだ。

やっと出来上がり
アツアツのピザを持って
車に乗り込む。

あと30分。
隣だから、
先生にコピーを頼まれたものをしても
なんとか間に合う。

ナビをセットして
びっくり尼崎と西宮で
近いと思っていたら
結構な距離だ。

コピーするコンビニを探して
下道を走ると
結構な渋滞。

ドンドン時間がせまり
先生からの
おとがめの電話。

コンビニを見つけ飛ぶ込み
車に乗ると
先生からコピーが
いらないとの連絡。

西宮についたのは良いが、
ナビでは家の場所がわからない。
くるくる回る
姉妹に出てきて貰い
なんとか車を止めれました。

30分ちかく
遅れてしまうことになりました。

姉妹を待たせ
みんなを待たせ
先生を待たせ

なによりこのことが重要。
決めた礼拝の時間を遅らせてしまい
神様を待たせてしまった。
本当に反省。
こんなことがないようにしなければ。


詩篇 70:4 あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう。」と、いつも言いますように。
 5 私は、悩む者、貧しい者です。神よ。私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ。遅れないでください。


聖書のこの箇所が
私は好きだ。
一見、「遅れれないでください。」と
偉そうに疑って言っているように聞こえるが
ここにはダビデの神様に信頼による懇願と叫びが
込められていて恵まれる(感動する)。

そして、
人間同士でも
いつも、よく遅れて人を待たす人が
そのいつもよく待たしている相手に、対して遅れるなとはいえない。
(そういう人もいるだろうが、チャンチャラおかしい。)
人間同士、対等でさえ、そうであるなら
目上の人であれば、更にそうです。
(いやむしろ目上の人を待たせるようなことはしないでしょう。
社長を待たせる一従業員、そんな人よっぽどだ。)
全知全能の至高の神様、
主にに対してであれば、
言うまでもない(さらに何か頼み、願うのであれば、それにつけ加えられる。)
私たちは、なんの気なしに神に対し失礼なことをしているときがある。

祈りにしてもそうだ、
「祈りが聞かれなかったから神様などいない。」という人がよくいるが、
(自己中心的な考え方だ。気持ちわかリますが。)
神を自分の祈りを持って、動かそうとし、
それがないから、存在を否定する。
たまに言いたくなるが、グッとこらえる。(気持ちはわかるんだ。自分もそうだったから。)
私の知る全能の神は、
あなたにコントロールされて、
あなたの小間使いをするような方ではないと。


箴言9:10 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。


おそれかしこみ、主の約束通り(聖書通り)
求め祈るなら、
本当に主は、助け祈りを聞いて下さる。

ここにはダビデが主へ、
時を守り、約束を守ってたからこそ
このように、「遅れれないでください。」と
懇願することができたのだ。

そして、遅れない主(神)の助け、約束のものが与えられるのだ。


イザヤ46:13 わたし(神)は、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの光栄を与える。」

救いを求める時に
「遅れれないでください。」と言えるように
遅れず守らなければならない。


申命記23:21 あなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに果たさなければならない。あなたの神、主は、必ずあなたにそれを求め、あなたの罪とされるからである。


しかし、感謝のことに
神は
心がとてつもなく広く
赦しの神様です。


 Ⅱ歴代誌7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。


そして、さらに今は、
イエス様がすべての罪を背負って
十字架に釘付けとしてくださいました。


Ⅰペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


足りない私が遅れてしまったことも
主はすぐに赦して下さるから感謝です。
精一杯したこともわかって下さる方だ。
次に活かせばいいんだ。

遅れはしましたが、
主は私の悔い改めを覚えてくださり
家庭礼拝は
先生のすばらしいメッセージも
相まって
とても恵まれた祝福の時となりました。

そして、みなさんは遅れてきた私を
咎めるどころか、
理由(言い訳?)を聞いて、
いたわりねぎらってくれました。

また、姉妹には沢山ご馳走になり、
感謝です。

とても良い家庭礼拝となりました。

お家は
桜が綺麗なところなので

さくら

またその時期に
どうかな?と
勝手に思っています。

2011年8月31日水曜日

バームクーヘン 4

近江を後に
竜王のアウトレットモールに
むかいました。

行く途中、
ぶどう狩りの看板がありました。

「みんなでブドウ狩り行きたいね。みんなで行ったら楽しいよ。」と妻。
(みんなといったのが、みそ。私をよく知っている。教会のみんなで行くのなら喜んでいく。)

「・・・。」(反対も賛成もせず。もう、ぶどう狩りは、こりごり。できたら別のとこが、いい。)
「川下りの看板が、あるよ。みんなで乗ったら楽しんちゃうかな?」(場所を変える私。)

「そうやね。またブドウ狩りの看板!!」(なんと、間が悪い看板。)

しかし、
どんどん、アウトレットモールに
近づいてくれば、来るほど
看板が増えてくる。

妻のブドウ狩りへの情熱は、
エスカレートしていく。
生まれてくる子供には、ブドウ狩りを経験させてあげたい。(生まれていない者まで味方につける。)
ブドウ狩りも良いけど、ナシ狩りも良い。(ナシは、少しそそられる。見抜かれナシで押してくる。)
もぎたてのナシをその場で食べるのは。格別だ。(ブドウ狩りの時も同じフレーズ聞きましたけど。)

アウトレットモールに着くまで、えんえん続く。
そして、ブドウ狩りの看板は、どんどん増えていく。

それもそのはず。
着いて納得。
アウトレットモールの横に
ブドウ畑がある。

「ブドウ狩りする?」と私。(妊娠してできるわけないのを知てって。)

「今日は、いいわ。(結構です)」と手を振る妻。
(先までの情熱はどこにいったの?)

てなわけで、
アウトレットモールに入りました。

同じ系列のアウトレットが、
鶴見の花博跡近くにもありますが、
そこよりも、広さも店舗数も多いように、思いました。

お休み中、セール中もあり
すごい人でした。
大道芸人の方がショーをしているのを横目に
散策しました。

学生の頃、好きだった
お店も入っており(普通、セールしないお店。)
80%offと貼られてました。

目を疑いながらも
キラキラした目で
「ちょっと見てくるね。」と私。
(私は物持ちがよく。今だに学生時代の服を着てるのですが、私は学生時代、痩せていたのですが
ダブダブの服を着るのが流行っていたので今だにほとんど着れていました。
でも最近さすがに太りすぎて、どれもズボンがパンパンに。ドンドン、ズボンが封印されて。必要に)

「欲しいのあったら言ってね。」と妻。
(欲しいものがあったら、言ってくれたら(自分の)審査の結果、買うよとのこと。)
しかし、(天ぷらした時頼んだ)エビ、私がすすめたゴミ箱など(大したものを頼んで無いな)
何度も審査結果を落とされたような。


マタイ 6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

マタイ7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。


節約家の妻でも、
私の本当に必要なものは、買ってくれる。
というか先に、買って揃えてくれてさえいる。

底抜けに豊かである神様は、
私たちの必要を知ていて、
求めてる時、
必ず与えてくださる。

本当の意味で
祈って与えられない時は、
それは必要でないか、
忍耐によってに品性を磨かれているか、
その時でないか、
偉大な神の計画の途中せあるかです。

しかし、
祈っても聞かれない、与えられないと
言っている人のほとんどは、
ちゃんと祈ってさえもいない人のように思います。

ハンナの祈りを
学ばなければならない。
ガムシャラに求める
主の心に叶う祈り。


「欲しいのあったら言ってね。」と妻の言葉を受けて
風を受けて飛ぶ蝶のように
フワフワ店内に入るが、
80%offといえ
元値が高すぎる。

入る時の軽やかさは
どこへやら
ショボンとしながら出てくる。
もう一軒だけ除く
(妻は疲れて限界。フーフー言いながら座っている。大して動いてないのだが妊娠て大変だ。)

まあ、びっくりするくらい安かった。
さっきの店で買わなくて正解だった。

既に裾上げがしてあることから
安くなっていたズボンが
試着してみるとピッタシだ。

定価が1万オバーのものが
2000円だ。
さらに、
裾上げもいらないのでタダである。

もう妻の体調が限界なので帰ることにしました。

「せっかく近江に来たから、近江牛を食べたいね。」
と妻は、豪勢なことを言いながら
フードコートに入っていった。

多分フードコートには
近江牛は、ないと
確信していたが
それには触れずについて行く。(もう慣れっこだ。)

「とんかつ食べたい!」と妻。
ものの何秒かで
牛が豚に変わっている。

私は親子丼にした。
これがびっくりするほど美味しかった。

ほっこりや 親子丼

フードコートとは思えない
多分、今まで食べた中で
一番美味しい
親子丼かもしれない。

妻のとんかつは、
味見さしてもらったが
まあまあだった。

近江とは関係ない
豚と鳥を食べました。
お腹いっぱいになって
眠い目をこすりながら
帰宅しました。




2011年8月27日土曜日

バームクーヘン 3

お店は綺麗な洋風のお店でした。

http://taneya.jp/shop/shiga_himure.html

とにかくひどい混雑でした。
レジのところは、すごい行列です。

ウキウキして
人をかき分け
あっちに行ったり、
こっちに行ったり
妻を尻目に喫茶コーナーの方に行きました。

ここもたくさん待ってます。
バームクーヘンといっても侮れないなと
わけのわからないことを考えてると
定員さんにバームクーヘン型のウチワを
渡されました。
(妻は、もらえると思って、大喜びでしたが、
店内に入ると返却するよう言われがっかりでした。)





暑かったので扇風機も置いてあリ、
中庭も綺麗でした。











私は、列に並ぶのが苦手ですが、
前の夫婦は
小さい子供二人を連れ
さらに足に包帯を巻き
松葉杖でつきながら待ってました。
(よっぽどバームクーヘンが好きなのでしょう。)

やっと中に入れました。
涼しくショーケースには
店内で食べれるケーキが、
並べられています。

節約家の妻が、珍しく宣言します。

「三つ食べる(二人で)。」
なんだか今までになく、
勇ましい感じです。
「太るな。」
と私が言うと
妻が間髪いれずに
「今日は太るよ。」


ヘブル10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。


私たちの告白は、大事です。
告白したとおりになっていきます。
だから、希望を告白して
行動していかなければなりません。
自分の口から出た告白が
私たちを導きます。


告白通り、帰って体重計に乗ると確かに太ってました。
(昔は、どれだけ食べても太らない体質だったのですが。)



バームクーヘンと
ぶどうのゼリーと
フルーツを漬けたものです。


バームクーヘンは、
さすがに出来立てで、
とても美味しかったです。

ゼリーフルーツも
及第点でした。










店内からも
中庭がよく見えて
良い息抜きになりました。

















食べ終わり、
持ち帰りコーナーで
手土産にするための
バームクーヘンを探していると
妻がやってきました。

「何してるの、行くよ。」と。

「手土産は?」と私。

「そんなん大阪で買えるよ。」と
お店をさっさと出ていきました。
あんなにバームクーヘンと連呼していたのに
もう、そんなん 呼ばわりです。

クールビュティーです。
昔は行ったことのないところに
連れていくとオドオドしていたのにと
太古の昔のことを思い出しました。
母は、強しとはよく言ったものです。

一人ぽつんと残された私は、
急いでその後を追いかけました。

外は、太陽がサンサンと降り注ぎ、
売り場の薄暗く、涼しい場所と対照的でした。

暑さから逃げ込むように
道を挟んだ
同じ系列のお店の
和菓子屋さんのたねやさんに
入りました。

そこでは、店内に
たこ焼きを焼くような機械で
アンコ餅が焼かれてました。
見た感んじは、
たこ焼きにしか見えません。

列に並び
二人で食べてみました。

見た目、たこ焼きなのに
食べると焼餅。
焼きたてだったこともあり
とても美味しい。

これを手土産にすることにしました。
たくさん頼むと
焼いているおじさんは、
びっくりして大変そうでした。
(大抵、1個を頼む人が多かったので、行列ができていることもあり、なども聞き返されました。)


Ⅰコリント4:21 あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。


この箇所が、私は好きです。
パウロがコリント教会の人たちに行ったところです。
ある人は、パウロは教会の人を脅していると言うが、
それぐらい必死に正しい道へ導こうとしている
パウロの姿が、また、情熱が見て取れて
私は、胸が熱くなります。

私は焼き餅を持っていける感謝です。

手土産も買えたことだし、
帰ることにしました。
1時間くらいしかいなかったように思います。

せっかくここまで来たので。
竜王にあるアウトレットモールにも寄ることにしました。
あくまで、修養会候補地の下見として。

つづく。




2011年8月26日金曜日

バームクーヘン 2

11時に家を出て
途中、大津サービスエリア寄りました。
大きいサービスエリアによったのですが、
車を止めるところもないほど、盛況でした。
軽く昼食を食べたのですが、
場所もなく外で海苔巻きを食べました。

12時くらいには高速を降りれました。

看板やお店を
キョロキョロしながら
行ったのですが、
川下りや、国民休暇村、アウトレットモールなど色々あり、
来年の夏の教会の修養会に、良いんじゃないかと思いました。

近江牛の看板を
横目に現地につきました。

コインパーキングもなく
ウロウロしていると
近江兄弟社がありました。

その道を挟んで
よくわからない像があるなと思っていたら

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/6/66/Omi_corp.jpg

あとで調べると
有名なヴォーリズ伝道師の像でした。

ヴォーリズは、
日本に英語教師として来日して
(現)近江兄弟社を創業し、(メンタームで有名。元々はメンソレータムも)
建築士としても活躍し、(大阪心斎橋の大丸、関西学院大学、同志社大学などなど設計)
療養院、幼稚園、
そして近江兄弟学園 を創立する。
学園訓は、地の塩、世の光 だそうです。


マタイ 5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
 14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。


このところから取られたのでしょう。
またこんな箇所もあります。

ヨハネ8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

ピリピ 2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。


私には、このピリピの箇所の御言葉が、こころに迫ってくるようです。

戦後はマッカーサーとの仲介役もし
「天皇を守ったアメリカ人」なんて言われることもあります。
(帰化して日本人になっています。)

また近江ミッションを結成し伝道します。
 ヴォーリズ伝道師といいましたが、
牧師の資格はなく、
一信徒としてこれだけ多くの働きをしました。
そこに神の働きを感じずにはおれません。

そのヴォーリズの像を
よくわからない外国人の像と思い
ちょっと邪魔だなとさえ思っていたので
反省極まりありません。


お休みの観光地だということもあり
人でごった返していました。

しかし、神社が多い。
そうか、近江八幡ってそういうところかと思い
失敗したなと思いつつ(もともとクリスチャンの私はそういう知識に乏しい)
さっさと食べて帰ることにしました。


つづく

2011年8月25日木曜日

バームクーヘン

先週、お休みの日に滋賀の近江に行ってきました。

姉妹の家で、家庭礼拝をすることになっていたので
手土産を持って行こうということで、
何にするかと話していると
何故かバームクーヘンの話になりました。

ハリエという妻の好きなバームクーヘン屋さんが、あるのですが


クラブ ハリエ


滋賀の近江の本店では
喫茶コーナーがあり、
その場で、焼きたてを食べれるということです。
(大阪では、買うだけ。)

実は、そのお店のことは、
何年前から、
うわごとのように、
くり返し聞かされていて、
そのうちバームクーヘンに追いかけられる夢を
見るんじゃないかと危惧するくらいです。

妻が好きというわりには、
私も1,2回しか食べたことがありません。
いつも、お店の近くを通ると
立ち止まるので、

私が「買うのと?」聞くと

ガラス越しにバームクーヘンを
目からヨダレが出んばかりに見つめながら、
こちらも向かずに

「(お金ないから)我慢する。」という。


ローマ5:4
 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。


我慢(忍耐)するとき、私たちから練られた品性が生み出されるのだ。


我慢するという言葉とは裏腹に
目線をバームクーヘンから離さず
何百メートルも歩く
妻の後頭部は、なんだか、もの悲しい。



というわけで(どういうわけか)
バームクーヘンを食べるために滋賀まで行くはめになりました。
できれば、バームクーヘンを食べるよりは、
バームクーヘンみたいに布団にくるまって、ゴロンゴロンしたかったです。
それも我慢。


続く

2011年8月24日水曜日

水曜祈祷会

今日の
水曜祈祷会のメッセージは、
「善きサマリヤ人」と題して
ルカ10章37節からさせていただきます。


ルカ 10:37
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」



ルカ10:25~37
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。
「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

イエスは言われた。
「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

すると彼は答えて言った。
「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神でる主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

イエスは言われた。
「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

イエスは答えて言われた。
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

彼は言った。
「その人にあわれみをかけてやった人です。」

するとイエスは言われた。
「あなたも行って同じようにしなさい。」



世界的に、
この 良きサマリヤ人 の
例えは
「自分が不利益を被るリスクを顧みず人助けをする行為」の
代名詞となっています。

2011年8月23日火曜日

とける


最近、少し疲れ気味だ。
ちゃんと自分の体調を整えるのも仕事なので
自己調整が、できていないと反省する。

これからは、
水曜日も日曜日も交代で
先生とメッセージ(礼拝のお話)をするようになった。

メッセージの時は、
特に気合を入れてつくり
(題目が決まったあとは、46時中そのことばかり考えている。)
前の日は
いつもより早くベッドに入るようにしている。
(寝れないときもあるが、とにかく休む。
夢の中でもメッセージしていることがよくある。
夢の中で話したことに教えられて急遽、話すことを変えたりもする。)

できるだけ万全の体勢を整えてメッセージをするが、
(できはともかく、自分としては心を注ぎ、命を削っているようにさえ思うときがある。)
終わったあとは、ぶっ倒れそうになるくらい疲れるときがある。
(これが霊的な疲れというものなのか。とけるような疲れだ。)



マルコ4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」


イエス様も群衆を教えられた後、
船で眠っておられる。
大波の船で
普通、眠って何かおれない。
よっぽどの疲れであったに違いない。
その疲れを駆け出しの私も体験できているのかと思うと
負けてはおれない気になる。

もっと情熱的な、ねじり込むような、弾けるような
メッセージを1回1回心を注ぎしていきたいと思う。
まだまだ、これからがスタートしたところだ。


使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

2011年8月20日土曜日

爆発

休み中の書く事がたまっていますが、
後日、書こうと思います。


昨日は、念願の天ぷらを揚げました。

天ぷらをしたと言っても本当に揚げただけで、
下準備は、全て妻がしてくれました。

私は、衣をつけて油に入れるだけ
これなら、失敗して
お腹壊す心配もないです。

いただいた
お茄子にゴーヤ、
そして、舞茸とウインナー、イカ。
残念ながら、エビは、ありませんでした。
(スーパーに行くから天ぷらの具、何が食べたいと聞かれたので、エビとイカと言ったのですが、当たり前のようにエビはありませんでした。高かったのでしょう。イカがあっただけでよしとしましょう。)

最初は、少し離れたところから入れてしまい、
油が飛び散りましたが、
だんだん様になってきました。

「慣れてきたねえ。」

「このいきやと、天ぷら職人になれるな。」

天ぷら職人さんが、聞いたら
天カス投げつけられそうなことを
言いながら(5,6コ揚げて職人になれたら世話がない。)
どんどん揚げます。

茄子、ゴーヤ、舞茸、ウインナーを揚げ終わり、
最後は、イカです。

なんの気なしに、
イカを入れたら
大爆発。

丁寧に水気を拭いてくれていたのに
まだ、水気が
あったみたいです。

油が飛んで
手と
顔にまで。

あんな、少しの水なのに
あんなに爆発するとは
びっくりです。


 Ⅰコリント1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。


この箇所の神の力の、「力」とはダイナマイトの語源となった「ドゥナミス」です。
十字架の言葉=福音(良い知らせ)です。
そして、爆発を調べると
急激に体積が膨張する、あるいはエネルルギーが解放される現象とあります。
これから、十字架の福音は、
急激な膨張し解放される爆発的なものであることがわかります。
この地でもその力が働いていることを感謝します。

油にちょっとの水が、入っただけで
あれだけの爆発をするのであれば、
神の力の爆発は、
知りがたい、とてつもないものでしょう。
それが私たちの上に働く、素晴らしいです。


飛んだ油を
急いで水で流しました。
手は少しだけ赤くなりましたが
顔は、大丈夫でした。

「男前が台無しや。」
(かなり間があってから)
「そうやね。」

初めから台無しじゃないかということは、
おいといて
なんとか揚げ終わりました。

見た目は、あんまりなのですが
できました。

びっくりするくらいゴーヤが、
おいしかったです。

スライスして
揚げたのですが
スナック菓子みたいに
サクサク食べれました。

ウインナーが意外で美味しかったです。




お腹がいっぱいになった頃、
頭の片隅にインシュリンダイエットは、
天ぷらを食べたらダメだったようなことを
思い出しそうになりましたが、
忘れることにしました。

2011年8月17日水曜日

チケット

先日、
教会のみんなで
ゴスペルライブに行った。

とてもパワフルなゴスペルの
連続で
とっても楽しかったです。

英語の歌詞がほとんどだったので
歌詞の内容が分からないのは
残念でしたが、
歌を聴きながら
いろんなことを考え、
有意義な時間となりました。

ノリノリのライブが苦手な
私は最初、行かないつもりでしたが
本当に行って良かったです。
(注文して下さっていた先生のおかげです。
 ありがとうございます。
 頼んでいないのに注文してくださったこと、
 本当に感謝しています。)

そのライブの中で、
ソロのピアノ演奏があり、
とても心に響いた曲がありました。

ロンドンデリーの曲です。
アイルランドの民謡で
ダニーボーイの曲が有名で(戦争に行った我が子を思う歌。)
多種多様な歌詞が付けられ
またCMなどにもよく使われます。


ダニーボーイ 


この曲は、賛美(ゴスペル)にもなっており
新聖歌  330   幸い薄く見ゆる日に
聖歌    345  楽しき学びの園より (卒業式によく歌われる賛美)
讃美歌Ⅱ 157  この世の波風騒ぎ 
などがあります。

ライブから終わってからも
ずっとこの曲が回っていました。

あんまり回りすぎて
夜寝れなくて
YouTubeでさがすと
クリスチャンの方が
伴奏し歌っておられる動画を見つけました。
(とても恵まれました。アップされた方に祝福がありますように。)


この世の波風騒ぎ 讃美歌Ⅱ 157

1この世の波風さわぎ 誘いしげき時も
 悲しみ嘆きの嵐 胸にすさぶ時にも
 御前に集い祈れば 悩み去り憂きは消ゆ
 いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名

2一つの望みに生くる はらから共に集い
 互いに仕えむつめば 世になき安き満ちて
 あめなる喜びあふる 麗し神の民よ
 いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名



幸い薄く見ゆる日に 新聖歌330

新聖歌330番
1幸い薄く見ゆる日に 孤独に悩む時に
 わが恵みなれに足れりと 静かな声を聞きぬ
 さればわれわが目を上げて
 十字架のイエスを仰がん
 主よなが愛を思えば われに乏しきことなしと


2愛する者を失いて 望みの消ゆる時に
 われ汝を一人にせじと 優しき声を聞きぬ
 さればわれ笑みをたたえて
 友なるイエスに応えん
 主よなが愛に生くれば われに乏しきことなしと



その動画を聴きながら
深夜にも関わらず
何度も歌いました。
(深夜に私の金切り声が、
こだましていたはずなのですが
有り難いことに
近所からは苦情はありませんでしたが、
妻は、うなされて何度も夜中起きたそうです。)

歌いながら、本当に恵まれました。

とても恵まれるので先生に、
その話をすると
伝道師だった姉が良く歌って
いただと言いました。

その頃、信仰があまりなかった私は、(ちゃんと聞いてなかったのでしょう)
そのことを忘れていました。
 しかし、いつの間にか私の心に刻まれていたのでしょう。

昔の私は、伝道師だった姉を
いろいろと苦労し頑張っているのを見ながら
全然、手伝うことをしませんでした。
今、自分が伝道師という同じ立場になって、
そのことを思うに本当に悔やまれてなりません。
この歌を歌うとき涙が出ます。

練習して集会でも歌いたいと思います。


ローマ2:
 3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。
4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

人が自分は正しいと思うとき、
もうすでに間違っています。

人々を裁く人は、自分も同じことをしています。

神の慈愛は、私たちを悔い改めへと導きます。


今日の水曜祈祷会は、
寛容について話たいと思います。


Ⅰコリント13:4
 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

 

2011年8月14日日曜日

サイレン

今日は、大阪クリスチャンセンターで行われた
なにわゴスペルフェスティバルに行ってきました。

感想は後日、書きたいと思います。

とってもパワフルで、いいライブで
燃えて帰りました。


会場から、教会に帰ると
サイレンが鳴り響いてました。

詳細は、わかりませんが
とにかく10台くらいの
車が止まっていました。

遠かったので写真は見えにくいですが。

最近、真田山近辺は、
火事が多いので
注意が必要です。


少しするとサイレンも鳴りやんだので
小規模の火事で
火はすぐに消えたことを
願います。




しかし、私の心は燃えて
消えることなく
ついつい帰るのが遅くなりました。


レビ6:13 火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。


昔の神殿のように
今は、燭台に火を燃やし続ける
必要はありません。
しかし、今キリストによって
私たち自身が、神殿となり
精霊の火が燃やされているのです。


ルカ12:49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。


キリストは、
私たちの心を燃やすために
来られました。
私たちはその火を絶やさず
燃え続けていかなければなりません。


明日も、燃えるために
早く寝なくては。

2011年8月11日木曜日

舞台に立つ

少し長い、CM動画ですが
心動かされるところがあったので
紹介します。






 ヨハネ16:20
 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。
あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。


悲しい色々な出来事が、
舞台に立つとき
賞賛される結果となった。

そこには諦めずやり通した強い意志があり、
逃げださなかった勇気がある。

私は自分が教会で
お話をさせていただくようになって
一番、神さまに感謝することは、
自分の人生に色々なことがあったことだ。
そのことを通して
神の臨在を知り神の助けを知りました。
だからこそ、話すことができる。
涙を流し(喜び、感謝の涙)
これからも
イエスの愛を語り続けたい。


詩篇23:
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。


死にたいとさえ思ったときがあった。
しかし、確かにそのとき神はおられて、
私と共に歩んでくれた。
だから、今の私がある。

確かに、私たちは輝くことができるんだ。


エペソ5:
8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――


私たちは、どこが自分の舞台であるかをはっきり知り、
目指し走る必要がある。


 Ⅱテモテ4:
7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。



天の舞台に立つとき、

あなたは、

神の前で、

どんな曲を奏でますか?