2011年6月29日水曜日

絶賛の嵐   エル・ロイ

創16:13 そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ。」と呼んだ。それは、「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは。」と彼女が言ったからである。

この箇所は、

ハガルが逃げ出し、さまよっているところに
神の使いがあらわれ導き、祝福する。
それに驚き、ハガルは「ご覧になる神(エル・ロイ)」と言いほめたたえる。


先日、ある姉妹が
妊娠してに食べれない妻を気遣い
サラダを作ってくれた。
礼拝後、用事があった姉妹は、
ことづけをして(持ち帰れるように袋に入れて下さっていた。)
急いで出て行った。(私のメッセージが長すぎて、礼拝が長くなってしまった。本当に申し訳ない。)
妻は、それを貰い帰ろうとしたが
台所にいた方に伝わらなくて
姉妹が作って持ってきてくれた大皿のサラダをタッパーに入れて持ってきて下さった。
誤解をとく元気がなく、その旨を私に伝え帰った。
用事を済ませて教会に帰ってきた姉妹が、気づき私に渡して下さった。
私は、帰宅して何気なしにそれを冷蔵庫に入れようとした。
その時、姉妹の心遣いに感動した。
袋には、すぐわかるように付箋で名前が書かれており、
中のサラダは、何回かに分けて食べれるようにタッパーに入れられ、
飽きないようにドレッシングも何種類も入れたあった。
その隅々まで届く気づかいと愛に、涙が出そうだった。
冷蔵庫の前でサラダを持って、泣いているおっさんというのは、
あまり見栄えのいいものではないので、急いでそれを入れ,
その感動を伝え、絶賛した。(材料も妊婦が、とるべき食材をつかっていた。)
そういう心遣いができる方が、教会にいることを誇りに思う。



しかし、教会にはいろんな人が来ます。
いろいろな問題を持って教会に、カウンセリングや相談にきます。
その中には嘘の相談をして、ちょっとでも何かお金を騙しとろうとする人が来ます。
うちの教会の先生は、それにものの見事に引っかかりだまされたことがあります。
電車賃がないと言えば、お金をあげ、
食べるものがないと言えば、自分の食事をあげ、
必ず返すという約束を信じて、貸してあげ(少額ではあるが、返しに来たためしがない)
何度言っても駄目でした。それをしてあげるのです。そして、何か喜んでいます。
ほとほと見果てた私が、小額でもお金はあげない貸さない取り決めをしました。(食べ物はOK)




こんな話があります。

アメリカの名ゴルファー、ロバート・デヴィンセンゾが、
トーナメントに優勝したときのこと。

ひとりで駐車場を歩いていく途中、若い女が近寄ってきた。

「あたしの赤ちゃんが重い病気でいまにも死にそうなんです。
でも、お金がなくて病院に連れて行くこともできません・・・・・・」
 
「これで赤ちゃんを助けてやりなさい」
そう言って、彼は女の手に小切手を押し込んだ。

翌週、彼がクラブハウスで昼食を食べていると、
連盟の役員が彼のテーブルに来て言った。

そいつは詐欺ですよ。その女には病気の子なんかいないし、
結婚だってしてないんですから。だまされたんですよ」

デヴィンセンゾはそれを聞いて言った。
「そりゃ、今週聞いた中でいちばんいいニュースだ」



少し先生の気持がわかったように思います。

聖書にはこう書いている。
 Ⅰコリント6:7 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。

もちろん騙されることがいいことではありません。
わかった上で、覚悟の上で、
しかし、それを甘んじて受け入れてあげれるくらい、騙されてあげられるくらい
大きな器の人間になることは、素晴らしい。



この話を元に作られたCMがあります。



この街には

ふたつのタイプの人がいる

嘘をつく人と、つかれる人。


「よう、だまされたな。
今の人、病気の子供がいるといっただろ。
あれ、うそなんだ。」

すると友人は、微笑んだ。

「よかった。病気の子供はいないんだ。」

深いところに灯がともった。


何十年も前のCMだったと思いますが
いまだに覚えていています。
そして、この動画のコメントを見ると絶賛の嵐です。
「こんな器の大きい男になりたい。」
「かっこいい」
「感動する、泣けた。」

とっても高評価です。
見ているものを感動させる人生。
素晴らしいと思います。

しかし、人はいつでも見ているわけではありません。
見ている時だけ、良いことをする
そんな生き方は嫌です。

神様は、いつもご覧になっていると意識することがその助けとなるでしょう。

私は、神様に絶賛され、天国で絶賛の嵐を受ける人生を歩んで行きたいです。

2011年6月28日火曜日

ゴミ出し

昨日は、片づけと模様替えの続きをした。
ホームセンターで材料を買い加工してもらってから、
教会につ着くとお昼になってしまった。

教会に入るともう姉妹が来ていて、
(朝早くから来て下さってたようだ。)
物置部屋から荷物を全部出して下さっていた。
すごいパワーだ。本当に感謝。
主は必要な人、ものを備えてくださる。


創22:14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。

この箇所をみるとそれは最後の最後にやってくる。
ひとには遅く、来ないように見えるが
主の備えは時にかない、遅れることがない。



二人で借りてきたトラックにゴミを積んだ。
結構な量だ。
いつの間にかいらないものはどんどん増えていく、
定期的に片づけ、その時々すぐに捨てる必要があることを実感する。
TVで片づけの達人が、片づけの重要なポイントは
捨てることですよとと言っていたのを思い出す。
これが私は苦手だ。
これからはと心に決めつつ、ゴミを出す。

牧師先生夫妻と小さい甥が来たので交代して、一度帰り、ゴミをおろすことにした。
甥が姉妹の仕事を増やすのを、横目に見つつ教会を出た。

帰ってくると夕方になり、姉妹は入れ違いで帰られたようだ。
たくさんの奉仕をした姉妹に祝福がたくさんありますように。
よけておかれた荷物を積み、
すっかり片づけられた部屋を見た。

イエス様の話されたことを思い出した。


マタイ12:43 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
 12:44 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
 12:45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」


私たちの心も片付けとゴミ出しが必要だ。
しかし、そこに何を置くのか、どう歩むのかっていうことは
もっと大事だということが分かる。


ピリピ2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。


イエスキリストの愛、喜び、一致の持続、夢を、心に満たす。
力と愛と慎みの霊、聖霊様で満たす。


家に帰り、妻を産婦人科に連れて行き、
もう手が写り、もうダッコちゃんのようなポーズをとっている子供に喜びつつ
帰宅するともう23時だった。

寝ぼけながらブログを書きながら、
賛美動画がアップできてないことをお詫びしつつ、
今日も皆様の祝福と守りを祈っています。

2011年6月24日金曜日

走り抜ける

NHKは、 東日本大震災プロジェクト の一環として
2013年の大河ドラマに「八重の桜」に決まったと発表した。

yahooニュース主演を女優・綾瀬はるかさんが務めることになった。

このドラマは、被災を受けた福島県を舞台に
福島県会津出身で、同志社を創設した新島襄の妻となった八重が主人公だ。

八重は、男装して戊辰戦争で活躍し、「幕末のジャンヌ・ダルク」と称された人物だ。
晩年は、日清、日露戦争に篤志看護婦としても参加した功績により、
皇族以外の女性としてはじめて政府より叙勲を受け、
昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜される。

英語教師宅にて聖書{馬太伝(マタイの福音書)}にふれる。
その中で、新島襄と出合い、クリスチャンとなり婚約する。
京都で洗礼を受けた最初の人となり
京都初の日本人同士のキリスト教式の結婚式を挙げる。
終生敬慶なクリスチャンとして神と人に対する奉仕につくした。
                                 参照エッセイ 福本武久の小説工房


2013年のドラマなので
まだ先ではあるが
とても楽しみで期待したい。

このドラマを通して
聖書に興味を持ち、教会に来て
イエスキリストの愛を知り、
受け入れる人が増えることを切に願う。


とても素晴らしい人格で素晴らしい働きをした八重だが、
世間では悪評もたてられ揶揄された。
悪妻、鵺(数種の動物が合体した怪物)、烈婦であると。

しかし、事実はこうだ。


悪妻 - 夫をジョーと呼び捨てにし、車にも夫より先に乗った。これは新島夫妻が互いの尊重の上で、男女が等しく平等であるという姿勢を自ら世に示したものであるが、男尊女卑の明治時代においては世間からは「悪妻」と評された。

鵺 - 同志社英学校の生徒にも新島先生を軽んじていると映り、当時学生の徳富蘇峰に「鵺」と罵倒された。

烈婦 - 勤務していた京都女紅場が経営難に陥った際に、女学校の補助金を増やすよう当時京都府参事であった槇村正直にたびたび直談判し、世間より「烈婦」と評された。
 
                                         参照wikipedia                                                                  



積極的で活発な八重の行動と
紳士的な新島襄のレディーファーストが、
その時代(幕末から明治初期)には 理解されず
誤解を生んだのが大きい原因のようだ。
しかし八重は誤解に負けずに走り抜いた。


素晴らしい働きをすればするほど
誰かを助けようとすればするほど
光と影のように
悪評を受け揶揄されることが多々ある。
マザーテレサもその一人だ。

マザーの孤児院の壁に描かれていた詩を紹介します。



「あなたの中の最良のものを」
Give the world the best you've got anyway. 人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
Forgive them anyway.
貴方が善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives;
Be kind anyway.
目的を達成しようとするとき、邪魔立てをする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

 If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
Succeed anyway.
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

The good you do today, people will often forget tomorrow;
Do good anyway.
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

If you are honest and frank, people may cheat you;
Be honest and frank anyway.
あなたが長い年月かけて作り上げたものを、誰かに一晩で壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい。

What you spend years building, someone could destroy overnight;
Build anyway.

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。



あなたが幸せと安らぎを見つけるとき、嫉妬されるかもしれない。
気にすることなく、幸せであり続けなさい。
If you find serenity and happiness, they may be jealous;
Be happy anyway.
あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい。
Give the world the best you have and it may just never be enough;
Give the world the best you have anyway.


最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

You see, in the final analysis,
it's all between you and God;
It was never between you and them anyway.



この詩は、よく最後の一節をまるまる省かれて紹介されることがある。
事実、私も最後の一節の存在を当分知らなかった。
しかし、この一節こそ、マザーが伝えたかった一番重要な箇所だ。
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
素晴らしい。最後にわかる。これだ。
あなたにも振り返るとわかるはず。ここが重要だ。

マザーは、悪評や揶揄に負けることなく
自分のすべきことをやり抜き走り抜いた。

聖書のコリントの手紙を見ると
パウロもそうだったようだ。
自分が立てた教会の人から
資格がない、証拠がない、脅してくる、騙し取っている、素人だ、
面と向うと弱腰、離れていると強硬な態度。などなど。
散々な言われようだ。
狂っているとまで言われている。
しかし、パウロはその彼らをイエスの愛を持って導いていく。

そして今、その愛は世界中に広がった。

パウロは言う。
「神の恵みは、私に十分にある。というのは、神の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」

パウロの弱さの中に、神の愛の恵みが完全にあらわれていたのだ。

パウロにしても、マザーにしても、八重にしても、
やり遂げる人は周りの雑音を気にしない。

いろんな人がいるだろう、
批判され中傷されても正しい道を歩み続ける人、
批判し中傷するだけで歩もうとしない人。
どうあるべきだろうか。

私たちは、やり遂げる人となり走り抜ける人とならなければならない。


パウロのように、いのちの限り走り、こう言いたい。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰(自分の信じ仰ぎ見るもの)を守り通しました。 テモテ4:7

2011年6月22日水曜日

そうすれば、見つかります。

賛美動画をこれからどんどんアップしていきたいと思います。

捜しても捜しても見つからなかった、
ビデオカメラからパソコンに移すためのケーブルが、
ようやく見つかりました。

奥の部屋を片づけてるときに、
箱の中にもなかったケーブルとスタンドが
ビニール袋に入れられ机の片隅から出てきました。
整理整頓していない自分に反省です。

片付けも手伝って下さった姉妹の大活躍により、半分以上終わりました。


ルカ11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
 11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

しかし、実は悲しことにその日、ケーブルを注文したとこでした。
(結局、移すにはスタンドが必要でした。)
捜し続けることの大切さをしりました。
持続すること大事ですね。

2011年6月14日火曜日

小さい命

教会ではみなさんに、報告したのですが
妻が妊娠しました。

最初、病院に行き、知らされた時は、どうもボッーとして実感が湧きませんでした。

子供聖会(最近、教会学校のことをこう呼んでいます。生徒会長がつけてくれました。いい名前で気にいっています。)の、みんなは自分の子供のように思い愛しています。

しかし、いざ自分の子となるとなんだかよくわからなくて人ごとのような感じだった。

でも、妻が切迫流産になると、どんどんお腹の子が心配になり
なんとか元気になって欲しいと祈り願い、我が子に一日でも早く会いたくなってきました。
まだ予定日も決まってませんが。

主と教会のみなさんが祈って下さったおかげで
出血は止まり、
エコーでも見えなかった赤ちゃんは、米粒ほどではあるが見えるほどに大きくなりました。
感謝します。

私が生まれた時は母子ともに召されかけました。
その痛みと苦しみの中で母は、イエス様を見たそうです。
母は、命がけで私を産んでくれました。

主の愛と母の愛を思い、また同じ立場になり父の愛を知りました。
私も米粒ほどで、まだ3ミリしかない、小さいのちですが、
その子を生かすためには、何の迷いもなくいのちをかけれます。


マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
「人の命は全世界より尊い」とうのは、この箇所からの引用です。

「命」の字は、"一" と "人 "と "叩" からできています。
一+人+叩 = 命 

一人の人がたたくとき命がある。
見よ。わたし(イエス様)は、戸の外に立って叩く。黙3:20

イエス様がご自分を差し出して下さいました。
イエス様は、あなたの心をノックされていました。
そして受け入れた私たちは、いのちを与えられ、尊いものとしていただきました。

イエスキリストによって、あなたのいのちは全世界よりも尊いのです。
なぜなら、あなたの命は神の命により生き、あなたの命の中に神の命があるからです。

2011年6月11日土曜日

雨を降り注ぎ

昨日の晩から、雨が降り、
今朝も降り続いている。


雨を降り注ぎ  恵み給うと    (雨を降り注いで   恵み(救い)を下さると)
神は愛をもて  誓い給えり    (神様は愛によって 約束して下さっている)

夕立のごと  天津恵みを     (夕立のように    天の恵みを)       
イェスよ今ここに  注ぎ給えや  (イェス様、今この時にこの場所に  注いで下さい。)


いつも雨が降ると、この賛美を口ずさんでいる。

雨が降るとき、 空を見、雨音を聞き、神の愛を思う。

2011年6月8日水曜日

コリントの手紙

コリントの手紙、考古学でより深く-豪神学大学学長が講演  
http://www.christiantoday.co.jp/view-3224.htmlChristian Today より


私の好きなコリントの手紙の講演。
行きたかったけど、東京はすこし遠い。

コリントの手紙からは、教えられることがたくさんある。
教会で生きるうえでの、与えられるもの、働き、間違えやすい過ち。
たくさんの導きがこの中にある。
その中から1節

Ⅰコリント2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

ある学者が、人の心が考えることっていうのは、
だいたいが実現可能だと話しているのを聞いたことがある。
しかし、神が用意して下さるものは、
それ以上の心に浮かんだこともないほど素晴らしいもの。
しびれる御言葉だ。
心が踊る。

今日の水曜集会のメッセージは,聖霊降誕の話です。
やりたかったこの箇所が、やっとできるので楽しみです。

2011年6月7日火曜日

ブログ始めました。

悪戦苦闘のすえ、
なんとかブログを始めれました。

youtubeへの動画アップは格闘中のゆえ
しばし、お待ちを。

近日中に良いおしらせが、出来そうです。
乞うご期待。