2011年11月17日木曜日

待ち人

先日、
関西空港に
送迎に行きました。

久しぶりに
空港に行くので
ナビを睨みつけながら
車を走らせました。

りんくうの方まで来て
海上を通る橋まで来ると
ワクワクしてきました。
夜の海の上を走る車は、
空を飛んでるようにも思えました。

車を止めて
到着上に向かいました。
もうすぐ到着時間なので
走って駆けつけました。

すこし到着が遅れたみたいで
ホッとしました。

夜の空港は
昼と違い
閑散として
もの哀しくも
人ごみが苦手な私には
なにか落ち着きます。




昔、送迎しに行き
北出口と南出口を
間違い待っていたことがある
私は、ちゃんと出口も掲示板で見て
出てくる人一人一人
穴のあくように確認します。

家族が遠くに行くたびに
よく迎えに私は行きます。
また、教会の家族を迎えに行けて嬉しいです。

そして、この待っている時間が私は好きです。

いつもこんことを考えます。
ここにいるのに
実は待つ人がいないのに
待っていたら
悲しいだろうな。

(待つ相手がいるっていうことは有難いことだなと思います。)

ここで待っているのに
待っている人が
いつまでも来なかったら
哀しいだろうな。


黙3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


神様は私たちの扉をノックしてくれています。
そして、イエスキリストは私達がその心のドアを開けるのを待ってくださっています。

そのことを考えるに
私はなんと神様を
戸の外に待たせ
何十年も
ほっとらかしにしていたのだろうかと
思います。
しかし、待ち続けてくださりました。
そして今、ともに生きてくださっている。

主に待っていただいたから
私も、戸を叩くものとなり
ひとを待つものとなり
時を待つものとなります。


詩1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。


当り前ですが、
何十年も待つことなく
数分で、
出口から出てきました。

こちらを探してくれているそぶり(自分を探してもらえるのも感謝だ)
思っていたよりは、疲れていないようで安心しました。

「おかえりなさい。」

送る中、楽しい話ができました。

2 件のコメント:

  1. 寂しく切ない思いで臨む旅でしたが、早朝にもかかわらず、空港に送ってくださり、旅の無事を祈って送り出して下さり出発口で、私達の姿が見えなくなるまで手を振って下さった家族、旅の初めから終わりまで、日本で無事を祈って下さった家族、帰国の日、夜遅い到着だったのに、ご奉仕のお忙しい中、到着口で笑顔で出迎えに来てくださり、お疲れのところ楽しいお話しをして下さりながら、家まで送って送って下さった家族、たくさんの素晴らしい家族に囲まれて、支えられ、私達はなんと幸いなものでしょう!孤独な気持ちは、すっかり無くなりました。皆様に支えられ、今回のちょっぴり強行突破的な旅、最高な旅となりました。神様は、旅を通して神の家族の温かさを教えて下さいました!感謝します(^人^)

    返信削除
  2. おかえりなさい。
    いい旅になって、良かったです。
    旅行中も色々あったみたいですが、
    無事に帰ってきて下さり感謝です。

    返信削除