2011年12月31日土曜日

一年の終わり 2

本当は木曜日は、
妻の家族と過ごすはずだったのですが
いけませんでした。

そういうわけで今日は、(土曜)
妻の両親と
一緒に
餅作りをしました。
(とはいえ、私は周りでうろうろしていただけ。)

臼と杵で
餅つきしたいのですが
場所も道具もなく。
(教会が広くなったらみんなで餅をつきたいなと思いました。)


象印製
全自動餅つき機

BS-EB10










もち米を入れるだけ










30分ほどで

蒸して

突いてくれる。

楽ちん早い。





できました。


アツアツ。









普通のと

きな粉と

あんこ入り。


熱いから
丸めるのも大変。



うまくできました。


日曜の教会の
礼拝後の愛餐会に
持っていきます。


味は、ご期待ください。



なんだか水曜日が終わって
すぐに日曜日のようです。
時間の感覚がおかしいです。


ピリピ 2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

一年の終わり

水曜日
明日から冬休み。
休みに入り
ホッっとする暇もなく

水曜祈祷会のメッセージ。
疲れがたまり
家でゆっくりしたいという思いが
頭をかすめるが
それを踏む付け教会へ。


ローマ15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。


教会へ着くと
先生とカウンセリングの受ける方が
おられました。
今日は、帰れないなと思いました。
徹夜で祈らなければならないようになるなとおもいました。
(私の予想を超える時間となりました。)

メッセージを
終えて礼拝が終わると
フラフラでした。
(始まる前から疲れてはいましたが、
私なりに全身全霊でメッセージしたので
マラソンを走った後のような脱力感です。)

でも帰って寝るわけにはいかないので、
先生が気を使ってくださり
仮眠をとるようにいわれたので
お言葉に甘えて少し眠らしてもらい
カウンセリングと祈りに参加しました。

大幅の予想を越え
終わったのは
金曜日の朝でした。

終わったときは
フラフラのフワフワでした。
(でも、先生は、ほとんど仮眠もとらなっかたので
若い私が、フラフラならば、先生はそれ以上でしょう。)
教会の姉妹が応援に来てくれたことが励みとなり助けとなりました。

大変でしたが
今回のことは
とてもいい勉強となり
イエスの救いに
一片の疑いもないものとなりました。

また教会の一致がいかに重要かということ
自分の賜物をむげにしてはいけないこと
いろいろ教えられました。


1コリント12:27,28
27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。


教会の姉妹を残し
(姉妹も徹夜したのに午後まで奉仕したようです。)
先に先生と教会を出ました


使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。


先生は新年礼拝、日曜の礼拝のメッセージを
今からつくらなければならないので
大変だろうなと
一緒に歩きながら思いました。
(パソコンの前に座ったら、気を失うように寝てしまったそうです。)

家に帰ると
妻があたたかく迎えてくれましたが
病院(検診)に連れて行ってあげれないほど
眠く
一人で行ってもらいました。


つづく


2011年12月27日火曜日

クリスマス2

1月に森祐理さんを
 お呼びして集会を持つこともあり

今年のクリスマスは
ゲストを呼ばずに
クリスマス会を開きました。

毎年、
ゲストを招いての
クリスマス会だったので
どんな感じになるのかと
心配もありましたが、
とてもすばらしいものとなりました。

私的には
今までで一番良かったと言っても
過言ではないと思います。

始めて教会にこられる方や、
地域の方や
教会の方のご家族が
来れたのは、
とてもよい収穫だったとお思います。
(伝道された教会の皆様の実が、豊かに色づいたように思います。)

また、毎週練習したかいもあり
とても楽しいい劇ができました。
聖書の話を知らない方が来ている中でも
(クリスチャンばかりなら、もっとやりやすかったんじゃないかと)
しっかり演技ができ
わかりやすく
面白かったです。

バンドも、とても感動しました。
バンドは、新しい楽器に挑戦し
歌もハモッテ歌い、
練習を軽く聞いてはいたのですが
本番は練習以上に演奏できており
正直びっくりしました。
これなら
どこに呼ばれても恥ずかしくない
と思いました。
活躍の場所が増えると思います。

なによりも
すばらしかったことは
みんなが
すべてのことについて
楽しそうにしていたことです。

演技するにも
歌うにも
演奏するにも
ゲームをするにも
奉仕するにも
なんにつけても
ひとつになり
喜んで、
できたことは
とても良かったです。


Ⅰコリント13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。


ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。


新しく来られたかたにも
教会は楽しいところだという事が
伝わったんじゃないかと
嬉しいです。

そして、
イエス様の誕生を
本当に楽しんで
祝えたことが
嬉しいです。

水曜祈祷会

今週の

水曜祈祷会は

ローマ8:31、32から

神のすべての恵み

と題してメッセージさせていただきます。



ローマ8:31~39
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

2011年12月24日土曜日

日曜礼拝

次のの
日曜礼拝は

マタイ2:11から

贈り物 

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ 2:11
  そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

2011年12月20日火曜日

クリスマス

来週の
日曜日は、
クリスマス会です。

クリスマスと言えば、
お家を訪問するのに
妻とサンタのコスプレをして
行くことに決めました。
車を運転していくと
途中、何度も
往来の人や
すれ違う車の運転手の方に
見られて恥ずかしかったことを
最近、クリスマスと聞くたびに
この事を思い出します。
(とてもクリスマスを満喫しているようで、なにか照れくさかったです。
映画の中で、クリスマスにサンタのカッコをした強盗が
よく出てきますがそんなふうに思われてないことを願います。)


 ルカ2:10,11
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。


天使たちは
クリスマス(救い主の到来)の知らせを
まず、羊飼いたちに伝えられました。

神様は、その時代、
とるに足らない者と思われていた羊飼いにさえも
忘れずに、いやむしろまっ先に
貧しく困難な状況にある者に
良い知らせである福音(救い主の到来)を告げました。
その神様が、この日本を忘れるハズがありません。
必ず救いと助けがあります。

今、日本には、大変困難な状況にいる方や、被災された方がいます。
その方たちに福音の到来の知らせが届いていることを願います。


今、教会では
クリスマス会に向けて
歌や劇の練習をしています。

去年までは、
歌のゲストや
ゴスペルチーム
バイオリン奏者の方や
落語をされる方などなど、
をお呼びしてました。

今年は
ゲストなしで
教会のみんなで
劇と歌で
もてなすことになりました。

劇の練習に
参加できなかった方のかわりをしましたが
ついていけませんでした。
(どうも私は、大根役者のようです。
元歌劇団の方がいらしゃるので任せたいと思います。)
今回は観るほうで良かったです。

みんなの練習を
離れて聴いているうちに
子供の頃を思い出しました。

小さい頃の私は、
大き教会の礼拝堂のすみで
クリスマスにむけて
みんなが練習するのを
聞きながら遊んでいました。

なんだかその頃に
戻った気がしました。


ルカ2:13,14
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

素晴らしい神をほめたたえる
クリスマス会になりそうです。

水曜礼拝

今週の水曜礼拝は、

ヨハネ9:25から

こひつじの血と証し

と題してメッセージさせていただきます。


ヨハネ9:25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」

2011年12月16日金曜日

母親学校2

出産までに
母親学校なるものが
2回ほど開かれるのですが
1回目は欠席しました。

お父さんも1回は
出席して欲しいとのことです。
前回は
ほとんどの方が
おとうさんも参加していたそうです。

そんなわけで
わたしも寝不足で
ボッーとしながら
顔色も悪い中、
参加しました。

産婦人科につくと
10分ほど早い時間でした。
(少しでもゆっくりするとねてしまうのですぐ出てきました。)

教室に入ると
まだ誰も来ていませんでした。

今日、
先生をしてくれる
助産婦さんが
テキストと
りんごジュースをくださいました。
(なぜ、りんごジュースかは、謎です。後でお菓子もくれました。
 紙芝居でも見る気分です。)

一番乗りだったので
一番前の
一番目立つところに
座りました。

そのうち
みんな集まりました。
見事にお母さんばかりで
男は私ともう一人だけでした。
(みんな前回出たのでもういいだろうと
思ったのでしょう。)

すこし一番前に座ったことを後悔しました。

最初は
ビデオを見ました。
寝不足の私は少し眠くなりましたが
あまりのインパクトに寝ずに見れました。

内容が凄かったというより
いつの時代に作られたビデオかというものでした。
(服装から20~30年前。バブル真っただ中です。
すごい蛍光色のELLEのトレーナーを着ています。)
アラレちゃんのような服装をした妊婦さんと
漫才師コンビのオードリーの春日さんそっくりの妊婦さんから
目が離せません。

なんとかビデオも終わり
助産婦さんの
出産準備の講義になりました。

助産婦さんは、
とても優しそうな方で
ふくよかで
その教室の中で
ひとり妊婦でない女性なのに
一番妊婦さんみたいな体型でした。

その講義の中で
ひとつ心に残ったセリフがあります。

「命を生み出すというのは、
簡単なものではありません。
ぼんやりとしていて
生まれるものではありません
新しい命を生むためには
強い精神が必要です。」


クリスマスが近いですが
イエス様は、
永遠のいのちを与えるために
人として来られました。
それは、ぼんやり来られたのではなく
強い思い持ってこられました。


ヨハネ3:14,15
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。


そして、自分のいのちを与え死なれました。
モーセが蛇をあげたように
ご自分を十字架の上にあげて。
並大抵の強い精神力ではないでしょう。

それを伝えることが、
いのちを生み出すのであれば、
私も強い精神を持たなければならないと
気を引き締められました。

講義も終わり
体操の時間になりました。

助産婦さんが
誰か前で
やってくれる方を募りますが
誰も手を上げません。

私がするわけにもいかないしと
訳の分からないことを考えつつ
待っていると
助産婦さんが一言。

「よその旦那さんが見てたらやりにくいですか?」

もう一人の男の方は
後ろの目立たないところに座っています。
明らかに私のことです。
私は、真ん前の目立つところに座っています。
そりゃ目の前で
(寝不足で)顔面蒼白の
おっさんに
(寝不足で)しかめっ面で
見られてたら
若い妊婦さん方は、
体操なんてしたくないだろうなと考え
申し訳なく思っているところに
横に座っていた方が
手をあげて下さった。
ホッと一息。

体操も終わり
分娩室と
入院する部屋を見て
終わりました。

母親学校

日曜日、
教会のみんなが
帰ったあと
すぐから
先生のカウセリングの
サポートをする。

すこし、時間がかかりそうだということで
先生が食事をとっている間に
私は仮眠をとる。

小一時間、
眠ったあと
サポートして
祈る。

なかなか
根強いものがあり
明らかな進歩はあるものの
最後のあと一歩が進まない。
しかし、神がおられる事実と愛を実感し
素晴らしい奇跡の体験の時でした。

結局、朝の10時くらいに
時間オーバーで中断した。
(15時間ほど徹夜で祈りました。)

祈りは少し待機し
カウンセリング(対話)で
信仰をつけていくことに
することにした。


マタイ9:20~22
20 すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。
21 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。
22 イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。


どんな素晴らしい
先生でも
どんなにまわりが
一生懸命、祈っても
本人に問題を
手放す気がなければ
難しい。
本人の信仰が
第一なのだ。

イエス様も
多くの奇跡を
おこなったが
すべての人を癒したのではなく
その人の信仰をみて
癒された。

また罪がそれをとうざける。


イザヤ59:1,2
1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。


それを除くために
イエス様が来られた。
それを祝う日が
クリスマスです。

カウンセリングを終え
外に出ると
教会の姉妹が
もう来ており
伝道を済まし
待っていてくださった。
コーヒーを入れてくれたので、
お話しながら飲む。
とても癒される。

そうこうしていると
先に家に帰っていた
妻が車で迎えにきた。

家で祈っていると
寝れなくなり
待ちきれず迎えに来たようだ。
(仕事をちょうどおやすみしていました。)

帰宅する
車中で居眠りし
帰って
2,3時間仮眠をとる。

この日は、
母親学校なるものが
産婦人科で開かれ出席することにしていました。

2011年12月14日水曜日

水曜礼拝

今日の

水曜礼拝のメッセージは

マタイの4:1,10,11から

御霊の導き

と題して

メッセージさせていただきます。


マタイ4:1,10,11
1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

2011年12月10日土曜日

日曜礼拝

次の日曜礼拝は

マタイ3:16,17の箇所から

これはわたしの愛する子、私はこれを喜ぶ

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ3:16,17
16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

2011年12月9日金曜日

犬まみれ

水曜日、
先生のサポートで
カウンセリングとお祈りに
立会いました。

何回されている方で
状態は、ドンドン良い方向に
向かっていっているので
最後のツメの
カウンセリングと祈りでした。

良い方向には
向かっていうのですが
とても難しい状態なので
時間がかかることは
予想されていました。

午後3時半から祈り始めて
祈祷会の始まる
7時半までかかっても終わらず
祈祷会が終わってから続けることにしました。
祈祷会終了後、
1時間ほど休憩してから
始めて
終わったら
朝の8時でした。

礼拝時間を入れると
15,6時間祈っていたことになります。
その中でメッセージもしたので(声が枯れて上手く話せませんでした。)
大変疲れました。(身体も疲れるのですが、霊的な疲れ。)
まだ若い私でも
寝ずにいるのは
疲れるのに
先生はもっと大変だったでしょう。


マタイ8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」


祈りの結果としては
上手くいったのですが
最後の一歩だけ
うまくいかず
少し悔しさも残りましたが
時間的に体力的に
しょうがないものでした。

部屋を出ると
祈祷会に来て帰った姉妹も
もう来て伝道を一巡してきていました。
伝道してきて輝いている顔を見て
癒されるようでした。


コロサイ1:5,6
5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
 6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。


それから、家に帰り
妻を会社に送迎し
帰って少し仮眠を取ってから
働きにいきました。

薄着で祈っていたので(祈ると熱くなるので、すぐ上着を脱ぎ腕をまくってしまう。)
少し風邪もひいたようで
フラフラでした。

そのフラフラの中
最後の今一歩思いだして
悔しさを感じていると
先生から電話があり
最後の一歩が
上手くいった知らせを聞きました。


ヨハネ16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

夕方、帰宅し
妻の実家に行きました。

義妹もいて
久しぶりに
神学校の話を聞きました。
私は疲れて朦朧としていましたが
神学生のつくるプリンが
とても美味しいと評判だ
という話を聞きながら
ウチの教会のパテシエのつくるプリンには勝てないだろうなと
考えながらそのまま、コタツで寝てしまいました。

2時間ほど寝てしまいました。

起きると
実家の犬が
上に
横に
犬まみれで
寝ていたようだ。
何度か踏まれて苦しんだ記憶が蘇る。

イビキもかいていたようで
爆睡してしまいました。
 義妹には、奥さんの実家で
よく爆睡できるとあきれられる始末。
(だらしない義兄で申し訳ない。)

妻が言うには
結婚前から家に来ては
爆睡して帰っていたことを
聞かされる。
なんとも常識的には、
彼女や奥さんの実家では緊張するみたいだが
義父と義母の人柄で
いつも寝かせてもらえたように思う。

あまりに疲れていたので
銭湯に行って体を温めた。

体調管理も主の仕事の一つだ。
これぐらいでへばっているようでは
まだまだだ。
湯に浸かりながら
悔い改めました。



2011年12月1日木曜日

体操

最近、
夜中になると
妻が変な格好をしている。

うつ伏せになって
上にお尻だけをプリッと
出してジットしている。

お腹が大きいので
まるで、おすもうさんが
横で稽古前の股割りでもしているようだ。

あまりにおかしな格好なので
何をしているのかと聞くと
逆子体操だという。

前の検診で
逆子になっているから
しなければならないとのこと。

一週間続けて

教会で
先生に祈ってもらい
みんなにも
逆子が治るように祈ってもらい

いざ検診へ。

見事、逆子がなおってました。


マタイ18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。


最善を尽くして、自分で祈り、またみんなにも祈ってもらい、神の人にも祈ってもらう。
その結果は、必ず良いものとなります。

逆子が治ったお祝いに
妻の友達がくれた

巷で噂になっている
マダムシンコのバームクーヘンを食べました。
並んで苦労して買ってくれたみたいです。



パッケージは
オシャレというか
とにかく派手です。





中を開けると
豹だらけで

道頓堀を
大阪のおばさま達が
駆け抜けてくるような
衝撃です。

さすがわが街、大阪です。




噂になるだけに美味しくて

横で食べてる妻は
よくわからない雄叫びを上げてました。

バームクーヘンとカステラのいいところを
うまく出して
合わせたような味です。

冷やしても温めても食べられ
飽きずに食べれます。



感謝なことに、最近は、よく何かをもらえるようになりました。
しかし、前はそうではありませんでした。

昔の私は
人を批判して、
皮肉り
軽く見て
馬鹿にしていました。

最近の私は
人を褒めるようになり、
尊敬し
認めるようになり
敬意を払うようになりました。


 マルコ4:24 また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。


自分が変わるとまわりも変わってきました。
原因は自分にありました。

私は、
最高の愛をもらい
変わりました。