2012年3月31日土曜日

日曜礼拝

今週の
日曜礼拝は、

ヨハネ11:25から

イエスを信じる者は死んでも生きる。

と題してメッセージさせていただきます。


 ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

2012年3月30日金曜日

チョコレート

三歳の甥が
よく話すようになってきて面白いです。

最近、
あまり着ないようなタイプの服を(アメカジのトレーナー)
引っ張り出してきて
着てると

甥が
「その服ええやん。どうしたん。似合ってるやん。」

三歳の子から
大人のような口ぶりで
そんな言葉が出てくるとは。
思わず吹いてしまいました。

かわいかったので
私が
「この服どう?」
というたびに
毎回、同じように言ってくれました。
意味がわかってるのか大人のマネをしているのか
わかりませんが
褒められて悪い気はしないものです。
「ありがとう」
と言って笑いながら頭をなでると
嬉しそうにしていました。


ルカ10:21,22
21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
 22 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」


イエス様も父なる神を褒めたたえました。
神は「これは私愛する子。これを喜ぶ。」と言われました。
私達も神をほめたたえるとき
神は私たちにほほ笑みかけ
頭を撫でてくれるように喜んでくださいます。


先日、
甥と遊んでると
私の母がチョコレートもって来ました。
チョコレートは甥の大好物です。
「ちょっとだけね。」と
小さいチョコレートを一枚取り出し
それを半分に割って渡しました。

甥は、「ありがと。」と、
その小さなかけらのチョコレートを
受け取りました。
それをもって、モゾモゾとしているので
何をしているのかなと見ると
一生懸命割ろうとしていますが小さすぎて中々割れません。
ちょっとづつ食べるのか賢くなってきたなと
私は考えていました。
ようやく割れたかと思うと
間髪入れずに
それを差し出し
「ちょっとだけね。」と
私にくれました。

「いいの?」と返そうとすると
たべろたべろと怒ります。
一緒に食べて
「ありがとう、おいしいよ。」と
嬉しそうに照れて走って
おばあちゃんの後ろに隠れました。

そのチョコは、もともとわたしが、
甥が食べるために
買って来たものでした。


神様に何か捧げるという事は
このようなことだと

甥に教えられました。

献金にしても奉仕にしても伝道にしても時間にしても礼拝にしても、

全てもとは
神様から与えられて
いただいたものであり
そこから感謝として愛をあらわすために
どのように返すかであるかを。


マタイ15:36~38
36 それから、七つのパンと魚とを取り、感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられた。そして、弟子たちは群衆に配った。
37 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいあった。
38 食べた者は、女と子どもを除いて、男四千人であった。


7つという
少ない数のパンと魚は
感謝をもってささげられ
愛によってわけられた時、
4千人以上の人を食べさしただけでなく
7つのカゴいっぱいにあまりました。


少ない中からわけられた
甥の
手垢でグチャグチャになったチョコは
愛が詰まって
いつもより美味しかったです。

2012年3月28日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は

創世記3:21から

皮の衣

と題してメッセージさせていただきます。


 創世記3:21
 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

2012年3月21日水曜日

水曜祈祷会

今日の
水曜祈祷会は、

ローマ12:10から

尊敬をもって生きる

と題してメッセージさせていただきます。



ローマ12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

2012年3月17日土曜日

日曜礼拝

明日の
日曜礼拝は

創世記50:19~21から

良い計らい

と題してメッセージさせていただきます。



創世記50:19~21
19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。
20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。

2012年3月15日木曜日

ミルク

とにかくうちの子は
よく
ミルクを
飲みます。

母乳を飲んだ後に
足りない分、
ミルクを哺乳瓶で飲み
その後また
母乳に戻り、飲んでいたりします。
いつまでも、
飲んでいるので
まだ飲んでるのかと
驚かされることがあります。

いわゆる
はしご酒ならぬ
はしごミルクです。
うちの子は
あちらの店からこちらの店へ
ではなく、
こっちのおっぱいから、あちらのミルク瓶へ、そして最後にまたおっぱい
という感じです。

とにかく
すごい勢いで
なにかわからないけど
叫びながら
飲んでいます。
「ハニャハニュハニュニャウャ。」
意味は、まったくわかりませんが
必死さだけは伝わってきます。

赤ちゃんのうちは
いいですが
大人になって
叫びながらゴハンを食べるような娘に
なったらどうしようかと心配する日々です。


Ⅰペテロ2:1,2
1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。


ようやくこの聖書の箇所が
少しわかったように思います。
これほどまでに
一心不乱に
聖書の御言葉を求める必要があり
そこに成長があるのだと。
そして、救いを得ることにつながるのだと。

娘は
ミルクをよく飲む
おかげで
みるみる成長し
まるまるしてきて
家に帰って見るたびに
大きくなっているようです。

とにかく
飲む量も多いし
飲むスピードも
ゴクゴク飲み
見る間になくなります。
ミルクのイッキ飲み競争
があるのなら
なかなかいい順位を
取れるのではないかと思います。



先日、
義弟が
餃子の早食べ
に挑戦した
話を聞きました。

(義弟は、なかなか良い体格の青年です。
背の低い私は、一緒に歩くと子供と大人のようです。)
餃子7人前を
一人で(女性は2人でOK)

12分以内に食べれば無料の上
500円券を貰えるというものです。


(写真は、半分くらい食べたところです。)





結果は...





9分50秒で

完食しました。

すごい。

10分をきり
2分も持ち時間を残しました。


私には、とてもできません。


もしかしたら、
娘が大きくなったら?
できるのでは?

オジサン(義弟)に
連れられ
早食べに
挑戦する
娘を想像しました
......。

おしとやかで
女の子らしく
育てようと
つよく決意しました。

2012年3月14日水曜日

水曜祈祷会


今日の水曜祈祷会は、

マタイ3:33~35から

神の家族 

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ3:33~35
33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
35 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

2012年3月13日火曜日

抱っこ

先週から
娘を連れて
教会に
行けるようになりました。

先週、
献児式をして
(生まれて最初に教会にいく日に祝福のお祈りをしてもらいます。
普通はしないのですが、うちの教会のオリジナルで、神様の前で
ちゃんと育てる旨を誓いました。)
昼まで帰りましたが
今週は、
府民イースターの
プレ集会もあり
最初から最後まで
一緒に教会で
過ごすことができました。

教会では
みんなが
世話をしてくださるので
感謝でした。

あの人が抱きを終えれば
この人がという風に
見てくださり
可愛がってくださるので
妻は、家にいるより
よっぽど
ゆっくり出来たのではないかと思います。

(だいたい30分間隔で変わっていくので
そのままですが  30分ママ  と私は勝手に呼んでます。)

娘も
教会も教会の家族も
好きなのか
ぐずることも
ほとんどなく
家にいるより
ずっと機嫌がいいようです。
おとなしく
おしとやかにしていました。

みんなに
抱っこされながら
「今、笑った。」「可愛い。」と
言ってもらい
スヤスヤと寝ている姿を
見ていると
みんなに
愛されて
うちの子は
幸せだなと
つくづく思い
感謝で涙がでそうになりました。


マルコ 9:36,37
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」


教会というところは
愛にあふれ
子育てに
最適なところだと
実感しました。

プレ集会後
みんなでサンドイッチを食べ
みんなが帰った後、
私が
抱っこすると
みんなに抱っこされて
あんなに機嫌良く
大人しくしていた娘が
グズグズ言い出し
泣き出しました。

どうも、
私が一番抱っこが
下手なようです。

そのうち
なれて上手くなれるでしょう。

2012年3月10日土曜日

レシピ

先日、
奈良県に出向いた際に
安くイチゴが
手に入りました。

あすかルビー
1パック190円。
(少し小ぶりでしたが)
スーパーでは
倍の値段します。


ホワイトデーも近いので
イチゴで
シフォンケーキを
つくることにしました。

最初、
私がつくる予定で
私が言い出しましたが
結局、
完全に妻がつくり
私は子守りしていました。
(娘が泣き叫んでいたので、ろくに子守もできてなかったように思います。)

うちの教会のパテシエさん(本業ではないですがお店で食べるより美味しいです。)に
教えていただいてたレシピに基づきつくりました。


シフォンケーキ

材料 直径18cm 一個分

卵黄......        中3個
砂糖......         80g
牛乳......         60ml
サラダ油....        40ml
薄力粉.....        100g
ベーキングパウダー小さじ  1/2
卵白......         3個

1、卵白を泡立てる

卵白をツノが立つまで泡だてて、砂糖の半量を少しづつ加えて、さらに淡立てる。
硬いツノが立てばOK。
冷蔵庫で冷やしておく。
(逆さにしても落ちないくらいが良いそうです。)


2、卵黄をあわたてる

卵黄に残りの砂糖を加えて白っぽくなるまで泡立てる。


3、牛乳、サラダ油をまぜる

2に牛乳を1度に加えてザッと混ぜ、泡立器で混ぜながらサラダ油を少しづつ加える。


4、粉をあわせる

3に粉とベーキングパウダーを合わせてふるいに入れヘラで粉けがなくなるまで混ぜ合わせる。


5、生地に卵白を混ぜる

4に1の1/3の量を加えてヘラでよく混ぜ、残りの1を加えてヘラで泡をつぶさないようにザックリと混ぜる。


6、焼く

何も塗っていない型に5を流し入れ、20~30回トントンとたたいて空気抜きをし、オーブン熱風160°cにセットして約45分焼く。
加熱後、すぐに型をさかさまにしてさます。


このレシピに
(妻いわく、このレシピはすごい。応用の幅があるし、私でも上手くつくれるとのことです。)
イチゴをミキサーにかけて
入れました。(少しイチゴ100%ジュースにして飲みました。美味し。)


いい感じで
ふくらみました。

上手く
焼き上
がりました。






中も
キレイに
ピンク色になりました。

美味しそうです。








でも、
食べてみると
あまりイチゴの味は
しませんでした。
(私が飲んだジュース分、味が薄くなってしまいました。反省。)

とにかく
うまく焼けたので
明日、
教会にもって行きます。


ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。

2012年3月7日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜祈祷会は、

Ⅰサムエル7:12,13から

エベンエゼル

と題してメッセージさせていただきます。



Ⅰサムエル7:12,13
12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。
13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。

2012年3月3日土曜日

日曜礼拝

明日の
日曜礼拝は、

マルコ12:30,31から

あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。

と題してメッセージさせていただきます。




マルコ12:30,31
30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
31次にはこれです。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。この二つより大事な命令は、ほかにありません。」


2012年3月1日木曜日

笑顔

最近、娘が
よく笑うようになってきました。

とにかく
お腹が一杯だと
機嫌が、いいみたいです。
(私に似て食いしん坊。ちょっと飲みすぎで大きくなりすぎのように思います。)

ミルクを飲んで
寝ながら
よく笑っています。

でも、その笑い顔が
私にそっくりです。
(私が、よくするらしい笑い方。)
片方の口の端だけを
あげてニヤリ ( ̄ー ̄)
という感じで、わらいます。
(私に似てしまい、女の子っぽくない、笑い方をすることを申し訳なく思う。)

それでも
子供が笑うと嬉しい
自分がいます。

笑い顔を見て
一緒に笑い、
(はたから見れば、親子で同じ顔でニヤ×ニヤと笑っているのは不気味かもしれません。)
妻には鼻の下が伸びてるよと言われる。
娘が泣きだすと
「どうしたん?どうしたんや?」と
泣きそうな顔で
あわてふためき
ウロウロする私がいます。
(妻には聞いても答えられないから、抱いてあげてと怒られます。)

親の愛とは、
子と笑い、子と泣くものと知る。
そして、子供が喜び生きることを
強く(時に命をかけてでも)望む。


ヘブル12:7神はあなたがたを子として扱っておられるのです。


イエスキリストを受け入れるとき、
神は自分を受け入れたとし
私達を子として扱って下さいます。
そして、いのちを捨てて愛してくださった。
私達が喜び生きることを切に望んで下さっている。
私達が笑う時、神もともに喜んで下さる。


 ローマ12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。


祈りを聞いてくださる方がいるから
私たちは、患難の中にあってもに耐え
(これが私たちを強くする。何もなければ何もないで悲観するのが人間だ。)
希望を抱き喜び生きることができる。


心を定め希望を持って歩むのならば必ず道は開けてくる。深い喜びもそこから生まれて来る。
松下幸之助さんは言う。


人生を歩むとき、
道が閉ざされたように見え、
神は、おられないのかと
思ってしまう時がある。
しかし、
それは神の大きな計画の一部であり
脱出の道も用意されており(越えられない試練を神は与えない。)
 深い喜びを得させる幸福への過程なのだ。

クリスチャン作家のドフトエフスキーは言う。
 それにしても、喜びと幸福は、なんと人間を美しくするものか。なんと心は愛にわき立つものか。       

どうせ生きるなら
どんなときも喜び
美しく生きたい。

子供が生まれてから
こういうことを言われる。
「人生で今が一番いい時だ。」

まさか、
子供が生まれた喜びというものは本当に素晴らしいが、

イエスキリストに出会った喜びとは比較にならないし(するようなものでもないし)
その出会いなくして今の喜びはない。(私は子供が苦手でした。)
そして、
これから
もっと幸せな喜びを(患難の中にあっても)
どんどん味わい生きるつもりだ。
イエスの愛の中で。


マタイ 5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。