2011年8月31日水曜日

バームクーヘン 4

近江を後に
竜王のアウトレットモールに
むかいました。

行く途中、
ぶどう狩りの看板がありました。

「みんなでブドウ狩り行きたいね。みんなで行ったら楽しいよ。」と妻。
(みんなといったのが、みそ。私をよく知っている。教会のみんなで行くのなら喜んでいく。)

「・・・。」(反対も賛成もせず。もう、ぶどう狩りは、こりごり。できたら別のとこが、いい。)
「川下りの看板が、あるよ。みんなで乗ったら楽しんちゃうかな?」(場所を変える私。)

「そうやね。またブドウ狩りの看板!!」(なんと、間が悪い看板。)

しかし、
どんどん、アウトレットモールに
近づいてくれば、来るほど
看板が増えてくる。

妻のブドウ狩りへの情熱は、
エスカレートしていく。
生まれてくる子供には、ブドウ狩りを経験させてあげたい。(生まれていない者まで味方につける。)
ブドウ狩りも良いけど、ナシ狩りも良い。(ナシは、少しそそられる。見抜かれナシで押してくる。)
もぎたてのナシをその場で食べるのは。格別だ。(ブドウ狩りの時も同じフレーズ聞きましたけど。)

アウトレットモールに着くまで、えんえん続く。
そして、ブドウ狩りの看板は、どんどん増えていく。

それもそのはず。
着いて納得。
アウトレットモールの横に
ブドウ畑がある。

「ブドウ狩りする?」と私。(妊娠してできるわけないのを知てって。)

「今日は、いいわ。(結構です)」と手を振る妻。
(先までの情熱はどこにいったの?)

てなわけで、
アウトレットモールに入りました。

同じ系列のアウトレットが、
鶴見の花博跡近くにもありますが、
そこよりも、広さも店舗数も多いように、思いました。

お休み中、セール中もあり
すごい人でした。
大道芸人の方がショーをしているのを横目に
散策しました。

学生の頃、好きだった
お店も入っており(普通、セールしないお店。)
80%offと貼られてました。

目を疑いながらも
キラキラした目で
「ちょっと見てくるね。」と私。
(私は物持ちがよく。今だに学生時代の服を着てるのですが、私は学生時代、痩せていたのですが
ダブダブの服を着るのが流行っていたので今だにほとんど着れていました。
でも最近さすがに太りすぎて、どれもズボンがパンパンに。ドンドン、ズボンが封印されて。必要に)

「欲しいのあったら言ってね。」と妻。
(欲しいものがあったら、言ってくれたら(自分の)審査の結果、買うよとのこと。)
しかし、(天ぷらした時頼んだ)エビ、私がすすめたゴミ箱など(大したものを頼んで無いな)
何度も審査結果を落とされたような。


マタイ 6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

マタイ7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。


節約家の妻でも、
私の本当に必要なものは、買ってくれる。
というか先に、買って揃えてくれてさえいる。

底抜けに豊かである神様は、
私たちの必要を知ていて、
求めてる時、
必ず与えてくださる。

本当の意味で
祈って与えられない時は、
それは必要でないか、
忍耐によってに品性を磨かれているか、
その時でないか、
偉大な神の計画の途中せあるかです。

しかし、
祈っても聞かれない、与えられないと
言っている人のほとんどは、
ちゃんと祈ってさえもいない人のように思います。

ハンナの祈りを
学ばなければならない。
ガムシャラに求める
主の心に叶う祈り。


「欲しいのあったら言ってね。」と妻の言葉を受けて
風を受けて飛ぶ蝶のように
フワフワ店内に入るが、
80%offといえ
元値が高すぎる。

入る時の軽やかさは
どこへやら
ショボンとしながら出てくる。
もう一軒だけ除く
(妻は疲れて限界。フーフー言いながら座っている。大して動いてないのだが妊娠て大変だ。)

まあ、びっくりするくらい安かった。
さっきの店で買わなくて正解だった。

既に裾上げがしてあることから
安くなっていたズボンが
試着してみるとピッタシだ。

定価が1万オバーのものが
2000円だ。
さらに、
裾上げもいらないのでタダである。

もう妻の体調が限界なので帰ることにしました。

「せっかく近江に来たから、近江牛を食べたいね。」
と妻は、豪勢なことを言いながら
フードコートに入っていった。

多分フードコートには
近江牛は、ないと
確信していたが
それには触れずについて行く。(もう慣れっこだ。)

「とんかつ食べたい!」と妻。
ものの何秒かで
牛が豚に変わっている。

私は親子丼にした。
これがびっくりするほど美味しかった。

ほっこりや 親子丼

フードコートとは思えない
多分、今まで食べた中で
一番美味しい
親子丼かもしれない。

妻のとんかつは、
味見さしてもらったが
まあまあだった。

近江とは関係ない
豚と鳥を食べました。
お腹いっぱいになって
眠い目をこすりながら
帰宅しました。




2011年8月27日土曜日

バームクーヘン 3

お店は綺麗な洋風のお店でした。

http://taneya.jp/shop/shiga_himure.html

とにかくひどい混雑でした。
レジのところは、すごい行列です。

ウキウキして
人をかき分け
あっちに行ったり、
こっちに行ったり
妻を尻目に喫茶コーナーの方に行きました。

ここもたくさん待ってます。
バームクーヘンといっても侮れないなと
わけのわからないことを考えてると
定員さんにバームクーヘン型のウチワを
渡されました。
(妻は、もらえると思って、大喜びでしたが、
店内に入ると返却するよう言われがっかりでした。)





暑かったので扇風機も置いてあリ、
中庭も綺麗でした。











私は、列に並ぶのが苦手ですが、
前の夫婦は
小さい子供二人を連れ
さらに足に包帯を巻き
松葉杖でつきながら待ってました。
(よっぽどバームクーヘンが好きなのでしょう。)

やっと中に入れました。
涼しくショーケースには
店内で食べれるケーキが、
並べられています。

節約家の妻が、珍しく宣言します。

「三つ食べる(二人で)。」
なんだか今までになく、
勇ましい感じです。
「太るな。」
と私が言うと
妻が間髪いれずに
「今日は太るよ。」


ヘブル10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。


私たちの告白は、大事です。
告白したとおりになっていきます。
だから、希望を告白して
行動していかなければなりません。
自分の口から出た告白が
私たちを導きます。


告白通り、帰って体重計に乗ると確かに太ってました。
(昔は、どれだけ食べても太らない体質だったのですが。)



バームクーヘンと
ぶどうのゼリーと
フルーツを漬けたものです。


バームクーヘンは、
さすがに出来立てで、
とても美味しかったです。

ゼリーフルーツも
及第点でした。










店内からも
中庭がよく見えて
良い息抜きになりました。

















食べ終わり、
持ち帰りコーナーで
手土産にするための
バームクーヘンを探していると
妻がやってきました。

「何してるの、行くよ。」と。

「手土産は?」と私。

「そんなん大阪で買えるよ。」と
お店をさっさと出ていきました。
あんなにバームクーヘンと連呼していたのに
もう、そんなん 呼ばわりです。

クールビュティーです。
昔は行ったことのないところに
連れていくとオドオドしていたのにと
太古の昔のことを思い出しました。
母は、強しとはよく言ったものです。

一人ぽつんと残された私は、
急いでその後を追いかけました。

外は、太陽がサンサンと降り注ぎ、
売り場の薄暗く、涼しい場所と対照的でした。

暑さから逃げ込むように
道を挟んだ
同じ系列のお店の
和菓子屋さんのたねやさんに
入りました。

そこでは、店内に
たこ焼きを焼くような機械で
アンコ餅が焼かれてました。
見た感んじは、
たこ焼きにしか見えません。

列に並び
二人で食べてみました。

見た目、たこ焼きなのに
食べると焼餅。
焼きたてだったこともあり
とても美味しい。

これを手土産にすることにしました。
たくさん頼むと
焼いているおじさんは、
びっくりして大変そうでした。
(大抵、1個を頼む人が多かったので、行列ができていることもあり、なども聞き返されました。)


Ⅰコリント4:21 あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。


この箇所が、私は好きです。
パウロがコリント教会の人たちに行ったところです。
ある人は、パウロは教会の人を脅していると言うが、
それぐらい必死に正しい道へ導こうとしている
パウロの姿が、また、情熱が見て取れて
私は、胸が熱くなります。

私は焼き餅を持っていける感謝です。

手土産も買えたことだし、
帰ることにしました。
1時間くらいしかいなかったように思います。

せっかくここまで来たので。
竜王にあるアウトレットモールにも寄ることにしました。
あくまで、修養会候補地の下見として。

つづく。




2011年8月26日金曜日

バームクーヘン 2

11時に家を出て
途中、大津サービスエリア寄りました。
大きいサービスエリアによったのですが、
車を止めるところもないほど、盛況でした。
軽く昼食を食べたのですが、
場所もなく外で海苔巻きを食べました。

12時くらいには高速を降りれました。

看板やお店を
キョロキョロしながら
行ったのですが、
川下りや、国民休暇村、アウトレットモールなど色々あり、
来年の夏の教会の修養会に、良いんじゃないかと思いました。

近江牛の看板を
横目に現地につきました。

コインパーキングもなく
ウロウロしていると
近江兄弟社がありました。

その道を挟んで
よくわからない像があるなと思っていたら

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/6/66/Omi_corp.jpg

あとで調べると
有名なヴォーリズ伝道師の像でした。

ヴォーリズは、
日本に英語教師として来日して
(現)近江兄弟社を創業し、(メンタームで有名。元々はメンソレータムも)
建築士としても活躍し、(大阪心斎橋の大丸、関西学院大学、同志社大学などなど設計)
療養院、幼稚園、
そして近江兄弟学園 を創立する。
学園訓は、地の塩、世の光 だそうです。


マタイ 5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
 14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。


このところから取られたのでしょう。
またこんな箇所もあります。

ヨハネ8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

ピリピ 2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。


私には、このピリピの箇所の御言葉が、こころに迫ってくるようです。

戦後はマッカーサーとの仲介役もし
「天皇を守ったアメリカ人」なんて言われることもあります。
(帰化して日本人になっています。)

また近江ミッションを結成し伝道します。
 ヴォーリズ伝道師といいましたが、
牧師の資格はなく、
一信徒としてこれだけ多くの働きをしました。
そこに神の働きを感じずにはおれません。

そのヴォーリズの像を
よくわからない外国人の像と思い
ちょっと邪魔だなとさえ思っていたので
反省極まりありません。


お休みの観光地だということもあり
人でごった返していました。

しかし、神社が多い。
そうか、近江八幡ってそういうところかと思い
失敗したなと思いつつ(もともとクリスチャンの私はそういう知識に乏しい)
さっさと食べて帰ることにしました。


つづく

2011年8月25日木曜日

バームクーヘン

先週、お休みの日に滋賀の近江に行ってきました。

姉妹の家で、家庭礼拝をすることになっていたので
手土産を持って行こうということで、
何にするかと話していると
何故かバームクーヘンの話になりました。

ハリエという妻の好きなバームクーヘン屋さんが、あるのですが


クラブ ハリエ


滋賀の近江の本店では
喫茶コーナーがあり、
その場で、焼きたてを食べれるということです。
(大阪では、買うだけ。)

実は、そのお店のことは、
何年前から、
うわごとのように、
くり返し聞かされていて、
そのうちバームクーヘンに追いかけられる夢を
見るんじゃないかと危惧するくらいです。

妻が好きというわりには、
私も1,2回しか食べたことがありません。
いつも、お店の近くを通ると
立ち止まるので、

私が「買うのと?」聞くと

ガラス越しにバームクーヘンを
目からヨダレが出んばかりに見つめながら、
こちらも向かずに

「(お金ないから)我慢する。」という。


ローマ5:4
 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。


我慢(忍耐)するとき、私たちから練られた品性が生み出されるのだ。


我慢するという言葉とは裏腹に
目線をバームクーヘンから離さず
何百メートルも歩く
妻の後頭部は、なんだか、もの悲しい。



というわけで(どういうわけか)
バームクーヘンを食べるために滋賀まで行くはめになりました。
できれば、バームクーヘンを食べるよりは、
バームクーヘンみたいに布団にくるまって、ゴロンゴロンしたかったです。
それも我慢。


続く

2011年8月24日水曜日

水曜祈祷会

今日の
水曜祈祷会のメッセージは、
「善きサマリヤ人」と題して
ルカ10章37節からさせていただきます。


ルカ 10:37
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」



ルカ10:25~37
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。
「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

イエスは言われた。
「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

すると彼は答えて言った。
「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神でる主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

イエスは言われた。
「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

イエスは答えて言われた。
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

彼は言った。
「その人にあわれみをかけてやった人です。」

するとイエスは言われた。
「あなたも行って同じようにしなさい。」



世界的に、
この 良きサマリヤ人 の
例えは
「自分が不利益を被るリスクを顧みず人助けをする行為」の
代名詞となっています。

2011年8月23日火曜日

とける


最近、少し疲れ気味だ。
ちゃんと自分の体調を整えるのも仕事なので
自己調整が、できていないと反省する。

これからは、
水曜日も日曜日も交代で
先生とメッセージ(礼拝のお話)をするようになった。

メッセージの時は、
特に気合を入れてつくり
(題目が決まったあとは、46時中そのことばかり考えている。)
前の日は
いつもより早くベッドに入るようにしている。
(寝れないときもあるが、とにかく休む。
夢の中でもメッセージしていることがよくある。
夢の中で話したことに教えられて急遽、話すことを変えたりもする。)

できるだけ万全の体勢を整えてメッセージをするが、
(できはともかく、自分としては心を注ぎ、命を削っているようにさえ思うときがある。)
終わったあとは、ぶっ倒れそうになるくらい疲れるときがある。
(これが霊的な疲れというものなのか。とけるような疲れだ。)



マルコ4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」


イエス様も群衆を教えられた後、
船で眠っておられる。
大波の船で
普通、眠って何かおれない。
よっぽどの疲れであったに違いない。
その疲れを駆け出しの私も体験できているのかと思うと
負けてはおれない気になる。

もっと情熱的な、ねじり込むような、弾けるような
メッセージを1回1回心を注ぎしていきたいと思う。
まだまだ、これからがスタートしたところだ。


使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

2011年8月20日土曜日

爆発

休み中の書く事がたまっていますが、
後日、書こうと思います。


昨日は、念願の天ぷらを揚げました。

天ぷらをしたと言っても本当に揚げただけで、
下準備は、全て妻がしてくれました。

私は、衣をつけて油に入れるだけ
これなら、失敗して
お腹壊す心配もないです。

いただいた
お茄子にゴーヤ、
そして、舞茸とウインナー、イカ。
残念ながら、エビは、ありませんでした。
(スーパーに行くから天ぷらの具、何が食べたいと聞かれたので、エビとイカと言ったのですが、当たり前のようにエビはありませんでした。高かったのでしょう。イカがあっただけでよしとしましょう。)

最初は、少し離れたところから入れてしまい、
油が飛び散りましたが、
だんだん様になってきました。

「慣れてきたねえ。」

「このいきやと、天ぷら職人になれるな。」

天ぷら職人さんが、聞いたら
天カス投げつけられそうなことを
言いながら(5,6コ揚げて職人になれたら世話がない。)
どんどん揚げます。

茄子、ゴーヤ、舞茸、ウインナーを揚げ終わり、
最後は、イカです。

なんの気なしに、
イカを入れたら
大爆発。

丁寧に水気を拭いてくれていたのに
まだ、水気が
あったみたいです。

油が飛んで
手と
顔にまで。

あんな、少しの水なのに
あんなに爆発するとは
びっくりです。


 Ⅰコリント1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。


この箇所の神の力の、「力」とはダイナマイトの語源となった「ドゥナミス」です。
十字架の言葉=福音(良い知らせ)です。
そして、爆発を調べると
急激に体積が膨張する、あるいはエネルルギーが解放される現象とあります。
これから、十字架の福音は、
急激な膨張し解放される爆発的なものであることがわかります。
この地でもその力が働いていることを感謝します。

油にちょっとの水が、入っただけで
あれだけの爆発をするのであれば、
神の力の爆発は、
知りがたい、とてつもないものでしょう。
それが私たちの上に働く、素晴らしいです。


飛んだ油を
急いで水で流しました。
手は少しだけ赤くなりましたが
顔は、大丈夫でした。

「男前が台無しや。」
(かなり間があってから)
「そうやね。」

初めから台無しじゃないかということは、
おいといて
なんとか揚げ終わりました。

見た目は、あんまりなのですが
できました。

びっくりするくらいゴーヤが、
おいしかったです。

スライスして
揚げたのですが
スナック菓子みたいに
サクサク食べれました。

ウインナーが意外で美味しかったです。




お腹がいっぱいになった頃、
頭の片隅にインシュリンダイエットは、
天ぷらを食べたらダメだったようなことを
思い出しそうになりましたが、
忘れることにしました。

2011年8月17日水曜日

チケット

先日、
教会のみんなで
ゴスペルライブに行った。

とてもパワフルなゴスペルの
連続で
とっても楽しかったです。

英語の歌詞がほとんどだったので
歌詞の内容が分からないのは
残念でしたが、
歌を聴きながら
いろんなことを考え、
有意義な時間となりました。

ノリノリのライブが苦手な
私は最初、行かないつもりでしたが
本当に行って良かったです。
(注文して下さっていた先生のおかげです。
 ありがとうございます。
 頼んでいないのに注文してくださったこと、
 本当に感謝しています。)

そのライブの中で、
ソロのピアノ演奏があり、
とても心に響いた曲がありました。

ロンドンデリーの曲です。
アイルランドの民謡で
ダニーボーイの曲が有名で(戦争に行った我が子を思う歌。)
多種多様な歌詞が付けられ
またCMなどにもよく使われます。


ダニーボーイ 


この曲は、賛美(ゴスペル)にもなっており
新聖歌  330   幸い薄く見ゆる日に
聖歌    345  楽しき学びの園より (卒業式によく歌われる賛美)
讃美歌Ⅱ 157  この世の波風騒ぎ 
などがあります。

ライブから終わってからも
ずっとこの曲が回っていました。

あんまり回りすぎて
夜寝れなくて
YouTubeでさがすと
クリスチャンの方が
伴奏し歌っておられる動画を見つけました。
(とても恵まれました。アップされた方に祝福がありますように。)


この世の波風騒ぎ 讃美歌Ⅱ 157

1この世の波風さわぎ 誘いしげき時も
 悲しみ嘆きの嵐 胸にすさぶ時にも
 御前に集い祈れば 悩み去り憂きは消ゆ
 いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名

2一つの望みに生くる はらから共に集い
 互いに仕えむつめば 世になき安き満ちて
 あめなる喜びあふる 麗し神の民よ
 いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名



幸い薄く見ゆる日に 新聖歌330

新聖歌330番
1幸い薄く見ゆる日に 孤独に悩む時に
 わが恵みなれに足れりと 静かな声を聞きぬ
 さればわれわが目を上げて
 十字架のイエスを仰がん
 主よなが愛を思えば われに乏しきことなしと


2愛する者を失いて 望みの消ゆる時に
 われ汝を一人にせじと 優しき声を聞きぬ
 さればわれ笑みをたたえて
 友なるイエスに応えん
 主よなが愛に生くれば われに乏しきことなしと



その動画を聴きながら
深夜にも関わらず
何度も歌いました。
(深夜に私の金切り声が、
こだましていたはずなのですが
有り難いことに
近所からは苦情はありませんでしたが、
妻は、うなされて何度も夜中起きたそうです。)

歌いながら、本当に恵まれました。

とても恵まれるので先生に、
その話をすると
伝道師だった姉が良く歌って
いただと言いました。

その頃、信仰があまりなかった私は、(ちゃんと聞いてなかったのでしょう)
そのことを忘れていました。
 しかし、いつの間にか私の心に刻まれていたのでしょう。

昔の私は、伝道師だった姉を
いろいろと苦労し頑張っているのを見ながら
全然、手伝うことをしませんでした。
今、自分が伝道師という同じ立場になって、
そのことを思うに本当に悔やまれてなりません。
この歌を歌うとき涙が出ます。

練習して集会でも歌いたいと思います。


ローマ2:
 3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。
4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

人が自分は正しいと思うとき、
もうすでに間違っています。

人々を裁く人は、自分も同じことをしています。

神の慈愛は、私たちを悔い改めへと導きます。


今日の水曜祈祷会は、
寛容について話たいと思います。


Ⅰコリント13:4
 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

 

2011年8月14日日曜日

サイレン

今日は、大阪クリスチャンセンターで行われた
なにわゴスペルフェスティバルに行ってきました。

感想は後日、書きたいと思います。

とってもパワフルで、いいライブで
燃えて帰りました。


会場から、教会に帰ると
サイレンが鳴り響いてました。

詳細は、わかりませんが
とにかく10台くらいの
車が止まっていました。

遠かったので写真は見えにくいですが。

最近、真田山近辺は、
火事が多いので
注意が必要です。


少しするとサイレンも鳴りやんだので
小規模の火事で
火はすぐに消えたことを
願います。




しかし、私の心は燃えて
消えることなく
ついつい帰るのが遅くなりました。


レビ6:13 火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。


昔の神殿のように
今は、燭台に火を燃やし続ける
必要はありません。
しかし、今キリストによって
私たち自身が、神殿となり
精霊の火が燃やされているのです。


ルカ12:49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。


キリストは、
私たちの心を燃やすために
来られました。
私たちはその火を絶やさず
燃え続けていかなければなりません。


明日も、燃えるために
早く寝なくては。

2011年8月11日木曜日

舞台に立つ

少し長い、CM動画ですが
心動かされるところがあったので
紹介します。






 ヨハネ16:20
 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。
あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。


悲しい色々な出来事が、
舞台に立つとき
賞賛される結果となった。

そこには諦めずやり通した強い意志があり、
逃げださなかった勇気がある。

私は自分が教会で
お話をさせていただくようになって
一番、神さまに感謝することは、
自分の人生に色々なことがあったことだ。
そのことを通して
神の臨在を知り神の助けを知りました。
だからこそ、話すことができる。
涙を流し(喜び、感謝の涙)
これからも
イエスの愛を語り続けたい。


詩篇23:
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。


死にたいとさえ思ったときがあった。
しかし、確かにそのとき神はおられて、
私と共に歩んでくれた。
だから、今の私がある。

確かに、私たちは輝くことができるんだ。


エペソ5:
8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――


私たちは、どこが自分の舞台であるかをはっきり知り、
目指し走る必要がある。


 Ⅱテモテ4:
7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。



天の舞台に立つとき、

あなたは、

神の前で、

どんな曲を奏でますか?

2011年8月10日水曜日

ハリネズミ 2

どうも書き出すと
タイトルまで
なかなかつながりません。
そして、続き書くの忘れてました(ノ∀`)

なんとか目当てのゴミ箱を選ぶことができました。

妻が、
教会の歌集のファイルブックが、
一杯になってるから
買いたいとのこと。

妻がお腹を押さえ
ウーウー言いながら、
ファイルを厳選しているのを
横目にそのへんを
私は、ウロウロしながら、
ペットコーナーの方へ、いざなわれていきました。

最近のホームセンターは、
ペットコーナーに
犬や猫だけではなく
いろんな動物がいて
充実しています。

大きなフクロウから
ヤドカリまで
小さな動物園のようです。

シマリスがいたので、
夢中になって見ていました。
何か視線を感じて
ふと、見ると
真横に大きなオウムが、
放されていて
目が合い、
びっくりしました。
(ちょうど餌の時間だったようです。
良くしつけされているようでじっとしていました。
見えないところに店員さんが餌を作っていました。)

外のハリネズミのケースのところに行きました。
私はハリネズミが、
昔の心を閉ざしていた頃の自分のようで
何か目が離せなくなりました。
その心に神様はノックしてくださいました。


默3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


眠っているので、
ケースをトントンと叩いてみました。
すると、ビックっと動いたかと思うと
また眠りました。
もう一回、叩くと(迷惑な話ですが)
今度は、もっと丸まり顔を隠しました。

これは可愛い!(・∀・)!

一度、飼って見たいと
ランランとした目で見ていると、
また、視線を感じました。
後ろを見ると
オウムよりも鋭い目で見ている
妻でした。

「買わへんよ。」と一言。

妊娠すると
心まで読めるようになるのか
という、また、訳の分からないことを
道々考えながら、
ゴミ箱とファイルを買い、帰宅しました。




今日の水曜祈祷会は、
イエス様がされた、種まきの話からしたいと思います。


マタイ13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。


興味のある方は
教会のホ-ムページまで

2011年8月9日火曜日

あぐら

妻を産婦人科に検診に連れて行きました。

もう10cmにもなっているそうです。

まだ生まれてもいないのに、
偉そうにお腹の中で
あぐらをかいているそうです。
(そのせいで、まだ男の子か女の子かわかりません。)


昨日は、妻は、だいぶ体調が悪く
会社には朝、行ったのですが
お昼には非常に悪くなり
上司に会社の車で
家まで送ってもらって早退したそうです。

私が帰って来てからもウンウン言って
しんどそうでした。

しかし、検診から帰ってきた妻は、
非常に饒舌で
体調をくずしてたのが嘘のようでした。

一生懸命にお腹の子が
手で自分の顔をこすっていたことを
嬉しそうに話していました。
産婦人科の先生が
話したことを逐一教えてくれました。


創世記1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。



神様は、天地全てのものを造られた時、
その日の終わりに、確認してよしとされます。
しかし人をつくられた日だけは、
それを見て非常によかったと言われました。
私たちが、生まれることを
神様は、非常に喜んで下さったのです。
私たちは、望まれて生まれてきたんです。
私たちが存在していることは、(ただいるだけでも)
それはとても喜ばしいことです。

それが少しわかるようになりました。



帰りに妻が
気分の悪いときのために
漢方薬をもらったが
私にも飲んでみるかというので
それは丁重に断り家に帰りました。


妻が妊娠したとき
少し心配なことがありました。
妻が教会でしている奉仕です。
私が変わってすればいいかと思っていたのですが
心配は無用でした。

今、みんなが教会を思ってくださっていることが
感謝です。
ある人については、
一段階上のレベルに登ろうとしているのが
目に見えるように明らかなので
本当に嬉しいです。

またこの若い伝道者夫婦を
おぼえ愛して下さるの感じ
慰めと喜びで感無量です。

今、むしろ、私の仕事は減ったぐらいです。
そして、妻を思ってくださり
帰るときには、暖かい言葉とお土産を毎週もらって帰るほどです。
(本当にいつも、感謝していただいています。主の祝福があります。)


 Ⅱコリント7:
14 私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです。
15 彼は、あなたがたがみなよく言うことを聞き、恐れおののいて、自分を迎えてくれたことを思い出して、あなたがたへの愛情をますます深めています。
 16 私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることができるのを喜んでいます。


2011年8月6日土曜日

ラーメン屋

昨日、淀川栄光教会さんの高井田伝道所の
開所式に行ってきました。






















行って見ると
教会の帰りによく通る道にありました。

昨日は体調がよかったので妻も一緒に行きました。
先に妻を降ろし、
駐車場に止めていくと
少し遅れて着きました。

中に入ると
もうメッセージが始まっており
山中牧師先生が
もう話しておられました。

もともと先生のご実家で
7人兄弟で(先生は末っ子で長男)
ここでお育ちになられたとのことです。

ご苦労されたことや
何度も手放そうと思ったが守られ、
今、伝道所として開所できる喜びを語っておられました。
この伝道所で一人でも魂の救いがあれば、
ここを残してきた価値があると熱く語っておられました。


ルカ14:21 しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、不具の人や、盲人や、足なえをここに連れて来なさい。』


ルカ章から話しておられました。
先生のメッセージを聞きながら
福音を延べ伝える
走り抜けてこられたのだなと熱くなりました。
本当にお人柄と熱を感じる、いいお話でした。
(こんなこと言うのは、畏れ多いが、
この先生、好きだな 
と思いながら、話を聴いていました。)
まわりを気にせず主のために見習うべきところが
たくさんあると思いました。

少し、まわりがざわざわしていました。
(集会時間は7時から8時だったのですが、
先生が8時こえても話し続けておられたからみたいです。
結局、終わったのは9時前でした。)
先生はスッタフが合図しても何も変わらず話し続けておられました。

先生のメッセージの後、
来ておられる牧師先生方、教会の代表が挨拶されていました。
うちの教会の先生も、話をされました。
(自分の教会の牧師先生が講壇に立つと何か安心します。)
挨拶と昔の救われた頃の証をされました。
(大きい教会、大きい教団の先生も挨拶されていましたが、
全然負けていませんでした。)
うちの先生、いい挨拶するなあと感心し勉強になりました。

伝道所を任される2人の兄弟に
うちの教会の先生が代表して按手の祈りをしました。
(うちの教会では、礼拝のたびに先生が按手してお祈りしてまわります。
ほかの教会は、回って按手どころか、お祈りもあまりしません。
うちの教会の特色かもしれません。)


Ⅱテモテ1:6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。


とってもいい開所式でした。


式が終わると妻が気分が悪そうだったので
来ていた姉妹と一緒に早々に帰ることにしました。
(コーヒーとお菓子が用意されていました。)

外に出ると妻が、ホッとした様子でした。
一階のラーメン屋さんの臭いがダメだったみたいです。
確かにラーメンの臭いで充満していました。

姉妹を駅に送り、
断食してる時と
お腹すいてる時は、
あの伝道所、大変だなと
よくわからないことを心配しながら帰宅しました。

2011年8月5日金曜日

ハリネズミ

最近、ゴミ箱が必要となり
ホームセンターに行きました。

教会のゴミを持ち帰ってくるのですが
置いておくとニオイが残るので
それを野外においておく、大きいゴミ箱を買いに行きました。

妻の体の調子がいい日を見つけ出かけることにしました。
実は前日も調子は良かったのですが、
私がご飯を食べて爆睡してしまいました。(だから痩せないのか?)

そんなに近くはないのですが、車では十分行ける距離に
ビバホームという大きいホームセンターが、できたので
そこに行ってきました。(普通のホームセンターより品揃えも値段も安いようです。)

広いので、ゴミ箱の売り場を見つけるのも一苦労です。
やっと見つけて妻が思案している中、
私は外国製のカラフルでオシャレなゴミ箱を見つけました。
妻に見せてすすめると「オシャレでいいね。」と喜んでいたのですが、
値段を見ると、今まで喜んでたのが嘘のように、
即却下されました。

普通の灰色のゴミ箱を選び(最近は青じゃないのかな?灰色しか置いてませんでした。)
60Lのが欲しかったのですが、フタが売っていなくて
(妻が、フタは、直射日光で劣化しやすいからフタだけ買うひとがいるからだろうと言っていました。)
結局75Lを購入、大きすぎるかなと思いましたが、なんとか、かんとか置けました


こんな感じのゴミ箱を買いました。妻は思ったよりも高かったと嘆いてましたが、ネットの価格よりだいぶ安かったのでいい買い物したんだと今、気づきました。
日々、暮らしているとたくさんのゴミが出ます。
少し掃除をサボるだけで家はゴミだらけになります。
そして捨てるべきものが、何で
いるべきものが何かさえも、
わからなくなります。
そして、いらないものを溜め込んでしまいます。

収納のプロがTVで言っていました。
片付けのコツは、
思い切って捨てることだと。

私たちの心もそうです。
捨てるべきものを捨てなければ、
良いものが見えてこないのです。


エペソ 4:
31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


赦すとは
手放す
という言う意味もあります。

人がした悪を自分の心に大事にとっておく必要はありません。
すぐ手放し、日々捨てるべきです。
片隅に置いてあるのを見つけ出し、捨て、片付け
良いもので満たすべきです。


ヤコブ 3:
17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。



続く

2011年8月3日水曜日

水曜祈祷会

 今日の
水曜祈祷会のメッセージは、
創世記のノアのところから
洪水後の話をさせていただきたいと思います。



箴言10:12 憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。


Ⅰペテロ 4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

2011年8月2日火曜日

コピーペースト(コピペ)する


久しぶりにホームページを更新しました。

日曜日に教会で、
姉妹が、証(お話)してくださいました。

さらに、その時した証しと別に
ワードで書いてくれたものを証集に追加しました。
とても感謝します。
(パソコンで書いたものをデータでくれるとコピーペースト出来るのでとても助かります。)

せっかくの良い証なのでここにもコピペせさせていただきます。





賛美での癒し
日曜日の礼拝で、メッセージの前に「聖歌396番・十字架のかげに」を皆で賛美しました。
牧師先生が「私は以前、この聖歌で本当に癒された経験があります。」と紹介してくださり、
私は「へ~そうなんだ~」と、何気なく歌いはじめたのですが・・・
急に涙が出てきて(別に泣きたいわけではないのに)、声をつまらせながら歌いおわった時、私の心は、ふ~っと軽く、楽になっていました。
気付かないうちに日々のちょっとした出来事で心が疲れていたようです。
賛美をしただけで癒してくださるとは・・・
神様は常に私たちを愛し、癒したいと働きかけてくださっているのだと感じました。


交わりの中での癒し
風邪をひいた後、副鼻腔炎(ちくのう症)になってしまいました。鼻水が止まらず、病院でレントゲンをとると、鼻の奥にある空洞に膿がびっしり。「完治までは1ヶ月以上かかる」との診断。
鼻水と頭痛、顏痛のまま日曜日に教会に行きました。礼拝の後、コーヒーを飲みながら教会員の方々とお話していた時、みるみる副鼻腔炎による不快感が軽くなっていくのを感じました。
翌日、病院に行くと「予想よりだいぶ早くよくなっている。」といわれ、神様による脅威の回復力に感謝!(年齢的にはだいぶ抵抗力がおちているはずなので)
楽しくおしゃべりしてるだけで、癒してくださるとは・・・
神様は常に私たちを愛し、癒したいと働きかけてくださっているのだと感じました。





默12:11
兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。