2012年6月16日土曜日
子供聖会
前に、
東京に出張に行っていた
高校の同級生が
少し戻ってきたので
会って話したことがあります。
教会の事を話していると
(高校の時は信仰があまりなかったので、そういうことを話し合ったりしませんでした。)
とても興味深く聞いてくれ
帰ってきたら来たいぐらいの勢いでした。
(さすがに東京から通うのは・・・。そのうち東京にも必要になるでしょう。)
よくよく話してみると
子供の頃、
教会に行っていて
教会学校{CS(チャーチスクール)や、ウチの教会では、子供聖会。)
に行っていたとのこと。
初めて聞く話に少し驚きました。
ルカ18:15~17
15 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。
16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。
聖書のことを話してると
昔、教会学校に行ってたことがある、
私の行っていった大学や高校が、
幼稚園や保育園に
と良く聞きます。
何故か日本では
教育というものに関して
キリスト教の教えは
いいものだという
考え方があるみたいです。
幼いうちに聖書のことを学ぶということは
とてもいいことだと思います。
しかし、
残念なことに
それが正しく伝わっていないというか
教育という枠にはまってしまった
あまりにも狭小なものであることです。
キリストを本当の意味で受け入れた時、
自分が考えてたキリストがあまりにも
小さかったことに気付きました。
キリストを体験するとその愛の大きさにおどろきます。
その時、
昔、教会学校で教えられたことが
次々思い出してきました。
シンプルでまっすぐな聖書の教えは
とても大事なことを教えられました。
私が少ないながらも
教会で子供聖会をして来ました。
ルカ 16:10
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
その大きさを伝えれたかは、
不安が残りますが、
今、新しい教会学校の先生が与えられ
一生懸命教えて下さっていることは感謝なことです。
詩篇8:1~4
1 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。
2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。
3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、
4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
子供たちは
教会の可能性であり希望です。
次世代を担う子供をおしえることは
とても大事で価値ある仕事です。
マルコ4:
30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
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