急いで
ホームセンターから
帰り(余裕をみて遠くまで行き過ぎました。)
分娩室に入ると
妻が一人で苦しんでる。
とにかく大変そうだ。
何分かごとに
ベッドの横の手すりにしがみつき
唸っている。
聞くとまだまだ何時間もかかると
助産婦さんに言われたそうだ。
こりゃ大変だ。
この痛みが何時間も続くのか。
横にいるだけで痛みが移りそうだ。
男性が同じ痛みにあうと耐えれなくて死んでしまうと
聞いたことがあるが
あながち大げさでもなさそうだ。
創世記3:16
女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
聖書には
産みの苦しみは
最初の人アダムのエバの違反によって
入ってきてしまったと書いている。
エバの罪は重いなと思った。
しかし、これに耐えれるとは
女性って強いなと尊敬させられた。
昔、子供が生まれた人にどれくらい痛かったか聞いたことがある。
「鼻からスイカが出てくるくらい痛い。」とのことだ。
鼻からスイカ、大変だ。
まず、私にはスイカが鼻から出てくるイメージが、できない。
その痛さを知るすべは男性にはないのだろう。
母は、私を生むとき生死をさまよった。
母子ともに危ない状況で
私も死にかけた。
そのとき、
母は、痛みの中で気を失い
イエス様を見たそうだ。
その後、なんとかもちなおして
私を生んでくれた。
そして、今も元気だ。
生まれたとき私は、
なかなか泣かなかったそうだ。(赤ちゃんは泣かないと死んでしまうらしい。)
お医者さんにお尻を叩かれて
やっと泣き出したそうだ。
(生まれた直後にお尻を叩かれて怒られるとは、なんとも私らしい。
私が心を入れ替え生まれ変わる時も神様にお尻を叩かれ、ようやく生きたように思う。)
産婦人科の先生が検診しにきた。
「問題ないです。順調に進んでいます。4,5時間もすれば生まれるでしょう。」
えっまだそんなにかかるのかと
妻の痛そうな顔を見ながら思いました。
そして、祈りました。
イエス様、教会のみんなが安産になるように祈っています。
その祈りがきかれていることを感謝します。
イエス様あなたはすべての罪の苦しみのために十字架にかかって死んでくださいました。
エバからの産みの苦しみのためにも。イエスの十字架によってその苦しみを取り去る。
Ⅰコリント15:22
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
助産婦さんも検診しました。
あれあれ、こは早いかもしれませんね
と出産の準備をし始めました。
準備が終わると焦り始めました。
電話して産婦人科の先生に「生まれそうです。早く来てください。」
一階にいる先生を呼んでいます。
先生が来る前に
生まれ始めました。
何回か力んだだけで頭は出てきたみたいです。
(妻が気を使って)立ち会いしないはずだった
私も出る暇もありません。
やっと先生が来られました。
それから何回か力んだだけで
超安産でなんの問題も無く生まれました。
(助産師さんが出産の準備をしてから
30分もかからなかったように思います。)
私のように泣かない
ということもなく
大きな声が部屋に響きました。
助産師さんたちは、大喜びで歓声が上がっています。
小さな部屋が産声とそこにいる人の喜びの声で大賑わいです。
あまりの早い出来事に
(祈りの力って当たり前ですが、すごいなと改めて思いました。
安産祈願みたいなことがありますが、
妊婦の方は、みんな教会にきて
安産に産めるように
牧師先生にお祈りしてもらうといいと思います。)
私は何だか、ポカーンとしてしましました。
(すごく冷静に私が生まれた変わったときも
天国でもこんな歓声が上がっていたのかなと考えていました。)
そんな私に
助産婦さんが
きれいに拭かれた
生まれたばかりの娘を渡してきました。
こう言いました。
「綺麗な子やわ。」
私の子供だから当たり前だと思いながら(笑)
その子の顔を見ましたが、
ガッツ石松さんのようです。
(生まれたばかりの子は、絶対ガッツさんか、つるべさん(笑福亭鶴瓶)どちらかに似ているという話を聞いたことがありますが、私の娘は、ガッツさんのようです。)
でも可愛いいです。(もう親ばかです。)
気づいたら、こう言っていました。
「生まれて来てくれて、ありがとう。」
創世記1:
26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
また少しだけ神の愛が、わかったように思う。
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