2012年2月29日水曜日

水曜礼拝

今日の
水曜礼拝は、

ピリピ4:4から

主にあって喜びなさい。喜びなさい。

と題してメッセージさせていただきます。


ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

2012年2月24日金曜日

良くて当然。

今日は、
朝から
インターネットをしようとも
つながりません。

ルーターの電源を
外して入れてみたり(8割これでなおります。)
色々やってみて
どうしても
つながらないので
サポートセンターに電話してみました。

また、色々言うとおりやってみますが
ダメです。
 原因わかりません。
何か障害があることだけ、
わかりました。

現地調査員が送ってくれることになりました。

やっと原因が分かりました。
外の電柱の線が切れていました。

そりゃ、
何をしても
ネットが
つながるはずありません。

源となるところから
切断されているのですから。

祝福の源である
神様から私たちも
切断されてしまっては
大変です。


 民数23:20
 見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。


最近、
ネットで調べて
教会にて来て下さる方が
わずかながら増えました。

ホームページをつくった頃は
苦労した割に
反応があるのか、
ないのか、
よくわかりませんでしたが
報われたようで、
嬉しいです。

水曜日も
インターネットで検索されて
こられた方がいらっしゃいました。

何ヶ国語も話せる方で
唯一の国語の日本語も不便な私から見れば
(私は、異言を語れるので、それで十分ですが。)
とても羨ましい限りの
才能ある方です。

そんな方に
帰り際に
「わかりやすくて、とても良かったです。」と
メッセージを褒めてくださいました。
感謝なことです。
私みたいなものが褒められるようにしてくださった
神様は、素晴らしいです
よりいっそうへりくだり謙遜にならなければ。



マタイ23:12
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は
高くされます。


ペテロ5:6
5神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
6ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。


こういう時
思い出すことがあります。

ある姉妹が
教会で証し(お話)をしました。
私は、「今日の証しとってもよかったですよ。」
と声をかけました。
そうすると姉妹は間髪いれずに言いました。
「当然です。素晴らしい神様の話をしたのですから。誰が話しても良くなります。」
私はそれを聞いて、
その姉妹の主を讃える謙遜な信仰に
驚かされたのと同時に
とても嬉しくなりました。


ローマ15:17
 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。


コリント10:17
 誇る者は、主にあって誇りなさい。


私は、
この受け答えを
とても気に入りました。
これから、
褒められたときは
私も
この言葉を真似さしてもらおうと
思うのですが
ついつい忘れて
いつものように私は
「あっ、ありがとうございます。」と
返してしまいます。

まだまだです。

2012年2月22日水曜日

水曜祈祷会

今日の水曜祈祷会の

メッセージは

ルカ23:34、35から

お赦しください。
彼らは何をしているのかわからないのです。

と題してメッセージさせていただきます。


ルカ23:34,35
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」

2012年2月18日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は、

Ⅰヨハネ3:18から

行いと真実の愛

と題してメッセージさせていただきます。



ヨハネ3:18
 私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。

2012年2月16日木曜日

合唱祭

昨日、
いつも集会で伴奏してくれる教会の子が
伴奏をするということで
D学校の合唱祭に行ってきました。

前日に兄と話していると
子供の頃の話になり、
音楽会で
伴奏することになった話を聞きました。
本番に緊張したのか失敗してしまい
間違っても続けて演奏したら良かったのですが
詰まってできなくなり
伴奏なしで、
みんなは、アカペラで歌うことになったそうです。
それだけなら良かったのですが
授賞式の時に
努力賞みたいなものを貰い、
よけい恥ずかしく
トラウマになり
どうせならそっとしといて欲しかった
というようなことを聞きました。
しっかりしていた兄でも
そんなことがあったのかと
感慨深いものがありました。

そんな話を聞いたので
失敗しないで
演奏できるように
お祈りして出かけました。

トップバッターなので
遅れては大変です。
少し道が混んでたのですが(京都はいつも少し混むように思います。)
順調に(途中、高速を乗越しそうになり危うく山科までいきそうでしたが。)
間に合いました。

会場でお母さんとお祖母さんと合流しました。
入口で止められ
先生と間違われ(スーツだったからでしょう。)
スタッフカードを渡されそうになって
アタフタしている私を
助けてもらい
入ることができました。


とてもよい会場でした。

大きなパイプオルガンがあり
日本に数台しかないものだそうです。







一番、舞台がよく見える
2階のま横から
見ることにしました。

一階は、学生たちが座っており
私たちの真下に
本人がいたので
名前を呼びますが
キョロキョロするのですが
わからないようです。

上から見てると
後ろの子や横の子と
(後ろの子はつついて振り向いてもらい話してもらおうとし、
横の子は一生懸命に話しかけているのをみると人気もののように見えました。(^^))
仲睦まじく話してる姿を見て
なんだか嬉しかったです。

何度か呼び掛け
のぞきますが
気づきません。
本人も探してくれているのか
あちらこちら見ているときがあります。

その姿を見て
天から見ている
神様もこんな感じなのかなと
思いました。

神様は、いつも私たちを
ご覧になっておられ
顧みてくださっています。


創世記16:13
 ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。


神がいることを
神がご覧になっていることを
私たちは知りながら(本能的にも)
どこにいるか探し回る
そんなときがあるように
思います。

しかし、
神は私たちに
呼びかけております。


イザヤ41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


私も心の中で応援しました。
すぐ上にいるよ
気づいていないけれど
近くにいるよ。
頑張れ!!


始まりました。
指揮者と伴奏者が
同時に礼をすると
みんなが拍手します。


引き始めの何秒かで
堂々と弾けていたので
すぐに安心して聞けました。



とても上手に間違わず
立派に弾き終えました。

お母さんが横でホッとしています。

私の心の中では大歓声を叫んでいましたが
本当にすると大恥をかくので
すまして拍手しました。

本人が自分の席に戻ると
カメラマンに席を取られていて
座るとこがなくなっていてかわいそうでした。
少しすると席を取り戻したようです。

そのあとは、
入れ代わり立ち代わり
1年生から3年生まで
すべてのクラスが合唱し
合唱のわんこそば
のようでした。
皆それぞれ違い
また知ってる曲も多く
楽しめました。

会が終わって
本人に会い帰りました。

帰りの車の中で
何かとても嬉しかったです。
何がとてても嬉しかったかというと
(演奏が良かったというのもそうですが)
普通に楽しそうに
友だちと仲良く
学校生活を
送っているということを見たからです。

Ⅰテサロニケ3:9
 私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。


神様も見るとき
そうじゃないかと思います。
私達が
何か大きな成功をしたから
何か名誉を得たからではなく
私たちが日々、
喜んで暮らしているのをみて
一緒に喜んでくださるのではないでしょうか。

神様は私達が日々喜ぶことを望んでいます。


ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。


帰って兄に会うと
「どうだった?」と
自分の経験もあり心配してくれていたようです。
「間違わず立派に伴奏してたよ。」

「会場に入るとき止められなかったか?」と兄。
「止められたよ。(先生と間違えられて。)」と私。
「最近は変な人が多いから学校行事には警戒が厳重やからな。」と兄。

その時は、そこで違う話になりました。

しかし、よくよく考えると
演奏を間違わずに出来るかを心配するのは有難いとして
私が変な人と思われて入場できないことを心配されていたとは
いやはや、
私はそんな変な格好していないつもりですが・・・
まあ、
兄に心配かけないようにしようと思いました。

2012年2月15日水曜日

水曜祈祷会

今日の

水曜祈祷会は、

Ⅱ列王記6:16、17から

恐れるな、私たちと共にいる

と題してメッセージさせていただきます。


列王記6:
16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。
17 そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

2012年2月11日土曜日

子守り歌

出産後の検診に行ってきました。

とにかく、よく飲んで、
お腹いっぱいになると
よく寝ます。

この前も母乳後に
私がミルクを作ってあげると
120mlも飲みました。
(1,2週間では少し飲みすぎ。)

検診で
ミルクをあげすぎなので
すこし控えるように言われました。
(私に似て食いしん坊のようです。)

その後
私が抱いていると
ミルクがほしいみたいで
泣き出しました。

妻に聞くと
先ほど十分あげたから
あげなくていい
とのこと。

ぐずぐず言って
泣き止まないので
こまりました。

ふいに、
TVで見たことを思いだしました。

あるピアノ屋さんのCMを見ると
不思議に
子供が泣き止むという話を。

さっそく
インターネットで
検索してyoutubeの
動画を見つけました。


片手でキーボードを叩くのは
時間がかかり
何とか見せました。

結果、全然反応がありませんでした。
みんなよく泣き止むとの
うわさでしたが
どうも駄目なようです。

その結果を話すと
妻が
「教会の賛美動画を見せるとすぐに泣き止むよ。」

先ほどのこともあり
疑い半分
聞かせてみることにしてみました。

うちの教会のホームページから
賛美動画にジャンプしてyoutubeに
アップしている動画を見せました(聞かせました。)


さっきのことが
嘘のように
ピッタと泣き止みました。

それどころか
1分も聞かないうちに
寝はじめました。


詩篇71:5~7
5 神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。
6 私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。
7 私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。


多くのひとが
教会に来た時に
よく言います。

なんだか
賛美を一緒に歌っていると
心になぐさめを受けたと。

ある人は涙を流し癒しを感じたといいます。


泣いている赤ちゃんをも慰める
賛美ってすごいなと思いました。

嘘みたいに泣き止み
ぐっすり眠ったのを確認して
ベッドに寝かしました。

妻が言いました。
「一つだけ欠点があるの。

賛美を止めるとすぐに起きるの。」

その時、曲が止まりました。

ぐっすり、ねむるのを確認したはずなのに
見ると
パッチリ目を開けています。
泣き出しました。
慌てて再生をクリック。
すぐ泣き止みました。

うちの教会の賛美のファンが
うまれたようです。

どうも
動画の再生回数が大幅に増えそうです。

2012年2月8日水曜日

水曜祈祷会

今日の水曜祈祷会は、

マタイ10:37~39から

自分の十字架

と題してメッセージさせていただきます。

2012年2月4日土曜日

日曜礼拝


明日の日曜礼拝は、

マルコ12:43、44

主にあけわたす

と題してメッセージさせていただきたいと思います。




マルコ 12:43,44
43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」

誕生 5

急いで
ホームセンターから
帰り(余裕をみて遠くまで行き過ぎました。)

分娩室に入ると
妻が一人で苦しんでる。

とにかく大変そうだ。
何分かごとに
ベッドの横の手すりにしがみつき
唸っている。

聞くとまだまだ何時間もかかると
助産婦さんに言われたそうだ。

こりゃ大変だ。
この痛みが何時間も続くのか。

横にいるだけで痛みが移りそうだ。
男性が同じ痛みにあうと耐えれなくて死んでしまうと
聞いたことがあるが
あながち大げさでもなさそうだ。


 創世記3:16
 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」


聖書には
産みの苦しみは
最初の人アダムのエバの違反によって
入ってきてしまったと書いている。
エバの罪は重いなと思った。

しかし、これに耐えれるとは
女性って強いなと尊敬させられた。

昔、子供が生まれた人にどれくらい痛かったか聞いたことがある。
「鼻からスイカが出てくるくらい痛い。」とのことだ。
鼻からスイカ、大変だ。
まず、私にはスイカが鼻から出てくるイメージが、できない。
その痛さを知るすべは男性にはないのだろう。

母は、私を生むとき生死をさまよった。
 母子ともに危ない状況で
私も死にかけた。
そのとき、
母は、痛みの中で気を失い
イエス様を見たそうだ。
その後、なんとかもちなおして
私を生んでくれた。
そして、今も元気だ。
生まれたとき私は、
なかなか泣かなかったそうだ。(赤ちゃんは泣かないと死んでしまうらしい。)
お医者さんにお尻を叩かれて
やっと泣き出したそうだ。
(生まれた直後にお尻を叩かれて怒られるとは、なんとも私らしい。
私が心を入れ替え生まれ変わる時も神様にお尻を叩かれ、ようやく生きたように思う。)

産婦人科の先生が検診しにきた。

「問題ないです。順調に進んでいます。4,5時間もすれば生まれるでしょう。」
えっまだそんなにかかるのかと
妻の痛そうな顔を見ながら思いました。

そして、祈りました。
イエス様、教会のみんなが安産になるように祈っています。
その祈りがきかれていることを感謝します。
イエス様あなたはすべての罪の苦しみのために十字架にかかって死んでくださいました。
エバからの産みの苦しみのためにも。イエスの十字架によってその苦しみを取り去る。


Ⅰコリント15:22
 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。


助産婦さんも検診しました。
あれあれ、こは早いかもしれませんね
と出産の準備をし始めました。

準備が終わると焦り始めました。

電話して産婦人科の先生に「生まれそうです。早く来てください。」
一階にいる先生を呼んでいます。

先生が来る前に
生まれ始めました。

何回か力んだだけで頭は出てきたみたいです。

(妻が気を使って)立ち会いしないはずだった
私も出る暇もありません。

やっと先生が来られました。
それから何回か力んだだけで
超安産でなんの問題も無く生まれました。
(助産師さんが出産の準備をしてから
30分もかからなかったように思います。)

私のように泣かない
ということもなく
大きな声が部屋に響きました。

助産師さんたちは、大喜びで歓声が上がっています。
小さな部屋が産声とそこにいる人の喜びの声で大賑わいです。

あまりの早い出来事に
(祈りの力って当たり前ですが、すごいなと改めて思いました。
安産祈願みたいなことがありますが、
妊婦の方は、みんな教会にきて
安産に産めるように
牧師先生にお祈りしてもらうといいと思います。)

私は何だか、ポカーンとしてしましました。
(すごく冷静に私が生まれた変わったときも
天国でもこんな歓声が上がっていたのかなと考えていました。)

そんな私に
助産婦さんが
きれいに拭かれた
生まれたばかりの娘を渡してきました。
こう言いました。
「綺麗な子やわ。」
私の子供だから当たり前だと思いながら(笑)
その子の顔を見ましたが、
ガッツ石松さんのようです。
(生まれたばかりの子は、絶対ガッツさんか、つるべさん(笑福亭鶴瓶)どちらかに似ているという話を聞いたことがありますが、私の娘は、ガッツさんのようです。)

でも可愛いいです。(もう親ばかです。)

気づいたら、こう言っていました。

生まれて来てくれて、ありがとう。」



創世記1:
26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
 27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
 31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。


また少しだけ神の愛が、わかったように思う。


2012年2月3日金曜日

誕生 4

教会の
最後の戸締りを終えてから
お祈りして
病院に行きました。

何も心配することなく
なんの変わったこともなく、
まだ陣痛も痛みもありませんでした。

先生の見通しでは
早くても
明日の午後だろうとのことでした。

一緒に
泊まるつもりでしたが

今晩、生まれることはないから
帰ってくださいとの

助産婦さんの強い勧めと
(居てもしょうがない父親に、ウロウロされるのは、
妊婦に気を使わせるだけで何のプラスにもならないようだ。)

私の疲れた顔を
(教会から帰ってくる時は、すごく疲れている。私なりに全身全霊を持って、奉仕やメッセージをしているからです。マラソンを走った後のような疲労感がある。しかし、心は爽やかだ。喜びがある。)

妻が気にしているので
(もうすでに、気を使わせている。)

帰って寝ることにしました。

帰ってすぐにベッドに入ったのに
とても疲れているはずなのに
もしかしたら夜中電話が掛かってくるかもと思っていると
なかなか眠れませんでしたが
祈っているといつの間にか
朝になっており
寝てないはずなのに
健やかに起きることができました。


Ⅱペテロ1:2
 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。


病室に行くと
妻がいないので
看護師さんに聞くと
まだ陣痛は始まってませんが
分娩室で待機しているとのこと。

部屋に入ると
元気な妻が、おり
まだ痛みも、きていないようでした。

陣痛が来てないので
まだまだかかりそうだ。

少し話して
足りないものを
買いに行きました。

少し早いお昼を済ませ

ホームセンターに行きました。
よく行くビバホームです。

ついでに
産後に風邪をひかないように
袖付き毛布を買いました。



毛布パジャマ イメージ図


毛布で出来たパジャマのようなものです。



ちょうど季節のかわりめの
セールで
ラッキーでした。

¥1480が

¥980 に値引きされました。






安く買えた
嬉しさもあって
意気揚々と
妻に電話しました。

「フッーフッー。陣痛、フウッー。はじまっ、フー。った。ッフー。」

毛布パジャマ
買ってる場合では
ありませんでした。
(その日、すっかり毛布パジャマは忘れられ、
妻に届けられることなく車中に取り残されました。
後日、病室に届けられますが、
病院内は暑く
未開封のまま家に戻ってきて
役目をまっています。)

2012年2月2日木曜日

誕生 3

病院に到着して、
検診してもらいました。

日曜日は、
外来はおやすみなので
病院は、閑散としています。

そのことが幸いで
すぐに見てもらえることになりました。

やっぱり
問題はないが
少し破水しているようです。

そのまま入院することになりました。

妻は、初めてのことなので
少し不安そうだ。

教会に戻るなら
病院を出なければ
いけない時間だ。

しかし、
妻も一人では心細いだろうと
ウロウロしていると

「何してるの。早く戻って講義しないと!」


マタイ6:33,34
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


心配は無用だなと心を入れ替える。

一応
義理の父にメールするが
なかなか来ないので
結局、
妻一人を病院に残して
教会に戻りました。

第一回の講義だったので
色々考えるところもありましたが、
私らしくできたように思い
感謝でした。
熱すぎたかな?と思うところはありますが。
(講義だから淡々としたほうがいいのかな。)

また、
みんなが無事出産できるように、
心を合わせて
お祈りしてくださいました。
(ほんとうに感謝でありがたい。)

神を第一にするなら
神が祈りを聞いてくださる方であることを
確信して

私も、母子ともに健康で生まれるようにお祈りしました。


 詩篇17:5,6
5 私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。
6 神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。

2012年2月1日水曜日

誕生 2

日曜日、
つらそうな妻に
大丈夫かと
聞くと
「這ってでも教会に行く。」

もちろん、
這ってこられたら
困るので
車に載せて
教会に向かう。

駐車場に着き
降りると
妻が声を上げる。
「アッ。」

忘れ物でもしたのかと思い
振り返ると
お腹を抱え目を見開いた妻が
「生まれそう。」

一歩、踏み出すたびに
声を上げている。

大変だ。

ひとあしひとあし
歩いている場合じゃないので、
急がして
教会に連れていく。

どうも破水したかもしれない。
でも、
すぐに止まり
今もなんとも状態だという。
(普通、破水すると結構な量の水が出続けると聞く)

少し様子を見ることにしました。

集会後、
一応、念のため病院に
電話すると

破水だと思われるから
病院に来てください、と。

午後から
講義をしなければいけなかったけど
行って帰るくらいの
時間はありそうなので、
みんなに告げて
(みんなが励ましてくれた。とても感謝だ。妻(と娘)は幸せものだ。)


Ⅱテサロニケ 1:3
兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。


牧師先生にお祈りしてもらい
急いで
病院へ向かう。

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は

Ⅱコリント4:16から

日々新たにされる

と題してメッセージさせていただきます。



 Ⅱコリント4:16
 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。