妻のお腹の子の検診に行ってきました。
今日は、
男か女か
がわかると思うので
できればお父さんも来てくださいということで
一緒に行ってきました。
朝、起き抜けに
妻が女の娘の夢を見たという報告を受け
寝ぼけ眼で
それは妻の願望を夢に見たんじゃないかなと考えつつ
病院に行ってきました。
月曜日だからか
すごく混んでいて
気の遠くなるくらい待たされました。
(いつも思うのですが、あれだけ待たされたら、妊婦さんや病を患っている方は大変だなと)
妻と子の検診が終わって
やっとエコーの時間になりました。
(朝一に行って、もうお昼前でした。)
まだまだ、
小さいと私は勘違いしていましたが
もうはっきり手や体の部分がよく見えました。
はじめて見えたポーズは
手と顔を上げて足は正座をしていました。
なんだか私が一人で祈っている時のようで、
私は、
「さすがわが子だ。お腹の中でも祈っている。」と
まだ産まれる前から、一人で親バカを発揮していました。
そうしていると
あげた手を胸元に持ってきて合わせ
顔をうなだれたようにしたので
「今度は、静まって祈っている。」と
私は一人で興奮してました。
親バカを発揮するのも、
なかなか忙しいものです。
指の骨、背骨組んだ足がはっきり見えました。
そして、
小さな小さな心臓が
一生懸命、鼓動してました。
Ⅰコリント3:
6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
小さな小さないのちを見て
神が成長させて下さる素晴らしさに
感動しました。
そして、
一生懸命、心を動かし
それをあらわそうとしている
子を見、なんだか心が熱くなりました。
そして産むためにつわりで苦しんでいる妻。
三者が美しく調和して
新しい命が産まれるのだと教えられました。
教会も、また然りであると思いました。
大切なのは成長させて下さる神なのだ。
そんなことを考えていると
エコーしていた
お医者の先生が
「性別は・・・。」
そうだそうだ、
それを聞きに来たんだと
そのため長い時間待ったのだ。
「全然わかりません。」
「うん。全然わかりません。正座みたいに座っているのでね。」
「今日わかるって聞いてました。あっ全然わかりません。うん。縮まって座ってるからね。」
「こりゃもう、全然わからないですね。」
小さい時から新喜劇を見て育った私は、こけそうになりました。
まあ、娘でも息子でもどっちでもいいし、
力いっぱい元気に動いているのを見れて満足でした。
でも、できれば名前を決めるために(力って字を入れようかな?)
どっちかわかればよかったかな。
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