2012年8月30日木曜日

帽子

娘の首が座ってからは、
私がお風呂を入れています。
だいぶん一緒に入るのにも慣れて
一人で入ると何かを忘れているような感じがするくらいです。

お風呂が好きで
お湯の中で飛んだり跳ねたりして笑っています。(まだ、私が脇を抱えていますが)
娘もどんどん成長してきて
力がついてきて
湯船でも一人で座って喜んでいます。

力がついてきたのはいいのですが、
困ったこともあります。
今までシャンプーする時
上向きで頭を寝かして水を流していたので
顔にかからなかったのですが、
最近は、寝かせると
必死で起き上がり座ろうとするので
顔に水がかかってしまい
頭を洗っている時に泣きだすことが多々あります。


 マタイ7:
8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。


そんなわけで、
娘が泣かないで
座りながら洗えるように
シャンプーハットを買いに
ショッピングモールに行くことにしました。

子供売り場に行くのは楽しいです。
昔、私が小さい頃はなかったような
今は多種多様なものがあり、
目を見張ります。

にんじんの帽子がありました。

思わず被せてしましました。

写真ではわかりにくいのですが
ヘタがちゃんと付いています。





なすびの帽子。
ヘタの形がカワイイ。

何故か娘は、
ベビーカーを噛み始めました。







エンドウ豆の帽子。

まだ、噛み続けています。


馬鹿な親でごめんね。






大騒ぎしながら
被せては写メして脱がしては被せてと
繰り返していいたので
店員さんに怒られないかと思いましたが
平日の夜で人も他に居なかったので
見過ごしてもらえました。

迷惑かけたのと
試着したら
めちゃくちゃ可愛かったので
衝動買いは、ほとんどしないのですが、
ついつい買ってしまいました。
(大きいサイズだったので3歳くらいまで被れそうだったのを言い訳に)

妻に「まだ早いのと違う?買うの?買うの?」と聞かれて
押し通して買いました。
可愛くてメロメロになりました。
本当に親バカです。ありがとうございました。


 マタイ7:11
 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。


目的のものに行くまでに
誘惑に負けてしまいました。

シャンプーハットも
色々ありました。

ミッフィーちゃんのと
迷いましたが
これにしました。







中がゴムで子供の頭にフィットするのと
つばの部分が透明で洗いながら子供の顔が見えるのが
決め手でした。

色々考えてつくられています。







家に帰ってきて
さっそく一緒にお風呂に入ります。
先に体を洗い颯爽とシャンプーハットをとり出し
これ見よがしに装着させ
シャンプーで頭をゴシゴシといつも以上に泡立てます。
(なんたって今日は、シャンプーハットがあるから。)
いつもならチョロチョロとお湯をかけるところをワイルドに大量にザパッとかけます。
(なんたって今日は、シャンプーハットがあるから。)

お湯をかけ終えたとたん
これ以上ないくらいに
娘が泣き叫び
お風呂場に声が鳴り響いています。

おかしいな
と見てみると
私のシャンプーハットのつけ方が
悪くて髪の毛が挟まり
シャンプーとお湯が周りに流れるどころか
娘の顔の上に空いた隙間から
すべて顔だけを一点集中して流れて行って
娘の顔はシャンプーだらけです。

顔を守るためのものが
使うものが悪いために
逆効果です。
顔に全部かかれば
そりゃ泣きます。


 ガラテヤ3:
19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
20 仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜わる神は唯一者です。
21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
23 信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。
24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。



2012年8月28日火曜日

最近、更新がとどこおっていたので
少し前の話を。

今年は、夏休みを少しだけとれました。
日ごろ休みがないので
家でゴロゴロとしたい
という気持ちを押さえて
家族サービスするために海水浴に出かけることにしました。
(最近、大型スーパーのベンチで居眠りしているお父さんを見ると
無意識に「わかる。わかるよ。」うなずいている私がいます。)

私の気持ちをあらわしたのか
何日か前から
土砂降りの雨が降り続き
豪雨と凄まじい雷が、
ゴロゴロゴロと鳴り響いてました。

さらに天気予報では、
当日もかなりの確率で雨が降り天気が荒れるとの予報がされていました。
せっかくの休みなので妻が日曜日、教会で海に行けるようにお祈りしたようです。
その日になると
嘘みたいに奇跡的な快晴で
これ以上ないくらいい良い海水浴日和となりました。

詩篇107:
29 主があらしを静めると、波はないだ。
30 波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
31 彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。


距離的には、須磨や二色の浜なんかが近いのですが
あまりの混雑ぶりに行く気もしないので
少し遠くの方まで行くようにしています。

夏休みまっただ中に行ったので
逆に高速道路は空いていて
混雑知らずで
2時間かからないくらいで行けました。
(唯一混んでたのは高速道路のパーキングエリアぐらいでした。人でごったがえしていました。)
須磨に行くのにも1時間半くらいは、かかるので、
だいぶ楽に行けました。

三重の御殿場海水浴場まで行ってきました。

この海水浴場は、とても遠浅な海岸で
干潮時は、遊泳区域をあらわす旗の方まで行っても腰くらいまでしか水位がなく
子供を連れていくには、とても安心な浜です。
そして、とてもすいていています。
また、潮干狩りが無料できます。
泳がなくても
水に浸かりながら、
砂をちょっと掘れば
どんどんアサリが取れるので、楽しいです。
教会でみんなで行けたらと思います。
ヤドカリなんかもいて
子供たちは喜ぶと思います。(恐がるかな?)

干潮時間を調べて行ったので
向こうの方まで海が干上がっており
貝が取り放題でした。

小一時間掘っただけで
山ほど取れました。

大きなバケツいっぱいになりました。









娘も海を恐がるかと思ったのですが、
水の中に座らしてもらい
あちこち見ながら上機嫌です。
顔を砂だらけにしながら
水でチャプチャプしてました。
(貝は、気持ち悪いみたいで、渡そうとしても絶対受け取りませんでした。)

大漁だったのと
はしゃいで取り過ぎたので疲れたので、
満足して
海水浴は、昼で切り上げました。

たくさん取れたので
教会で食べたかったのですが
生ものどころか、生き物なので
あきらめて家で食べることにしました。
(月曜にとったので、1週間は、もたないようです。)

名物の蜂蜜まんを買って帰ることにしました。

 一個50円で
できたてで売っています。

店内でも食べれるようです。





できたてを食べたのですが
蜂蜜の味がとてもしておいしかったです。



 残念ながらこれも日持ちせず
教会に持っていけませんでした。
(水曜日に持っていく予定でしたが、
忘れるという大失態をしてしまいました。)


帰ってからは
アサリ料理づくしでした。

酒蒸しに
バター炒めと
ピーマンと。

おいしかったけど、
食べ過ぎて
とり過ぎたかなとも
思いました。


いい休みがとれて良かったです。


詩篇 44:8
 私たちはいつも神によって誇りました。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。セラ


詩篇の中では、セラ っていうところが出てきます。
詩篇は民全体で歌っていた歌詞で
これは今でいう楽譜の中の 休符を あらわすそうです。
このセラっていう箇所は、たくさんに出てきます。
これを見る時に、人には休息が必要だと再認識します。

2012年8月22日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

Ⅱコリント9:6~9から

蒔き刈り取る

と題してメッセージさせていただきます。


コリント9:
6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

2012年8月18日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は、

マタイ7:12から

祝福の法則

と題してメッセージさせていただきます。


 マタイ7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

2012年8月8日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

ローマ1:5から

キリストによる務め

と題してメッセージさせていただきます。

ローマ1:5
このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。

2012年8月6日月曜日

シロップ

日曜日、
娘は、教会が大好きみたいだ。
賛美が、好きで
聞いていると、とても穏やかで、
ニコニコしている。
家で遊んでるとき以上に
楽しそうで
みんなに
かわいがってもらってご機嫌だ。


 マルコ9:
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」


家にいる時は、
私を目で追ってばかりいる娘も
教会では見向きもしない。
少しさびしい反面、
みんなに愛され、かまわれて
ありがたい気持ちでいっぱいだ。

最近、
甲高い声を出すようになり
教会のお兄ちゃんたちを見て
自分も輪の中に入って遊んでいるつもりか
時折、超音波のような声をあげて、はしゃいでいる。

帰る頃、
遊び疲れたのか、
プールに行ってきて疲れて寝るお兄ちゃん達の間で
すやすや眠っている。


Ⅰテサロニケ 5:
10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。


ほとんど、みんなが帰った頃ようやく起きました。
やっと起きたと思うと
帰り道の車中でまた寝はじめました。

寝る子は育つといいますが
あまりに寝るので
妻に聞くと
咳どめシロップを飲んだから
そのお薬のせいだろうとのことでした。

まだ大人と比べて体もちっちゃいから(5,6カ月にしては大きすぎるような気もしますが・・・)
よくお薬が効くのかなと考えながら帰りました。

家に着きお風呂に入れるのですが
まだ寝てます。
先に私が入り、洗った後、
呼ぶとお風呂場に妻が連れて来たのですが、
まだ寝てます。

眠ってるところかわいそうだなと思いつつ
お湯をザパッとかけると
むにゃむにゃと少し目を開けて、
また寝ました。
石鹸をつけてゴシゴシすると
寝返りを打つようにゴロゴロと動こうとして
また寝ました。

結局、
頭を洗っても
湯船に入れても起きることなく
そのまま体を拭いて着替えてベッドに直行でした。
教会で賛美をたくさん聞いて
いい夢をみてるのか寝ながら笑っています。


詩篇22:10
 生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。


よっぽどお薬で眠かったのと一日遊んで疲れたのでしょう。
(娘も幼いなりに力一杯、生きているのでしょう。)
しかし、何をしても寝ててくれたので(泣いたり暴れたりしなかったので)
お風呂に入れるのは楽でした。

少し寝ている娘を見ながら、
信頼して、ゆだねるとは
こういうことかなと思いました。


 詩篇37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。


寝ている我が子は、なんとも愛しかったです。
(何しても起きないので
「何コレ?何コレ?起きひん。でもカワイイ。何コレ、カワイイ。」
と思わず、つぶやきながら娘を洗っていました。)

しかし子供は、寝ててもお風呂に入れてもらえていいなと
昨日、徹夜で講義の用意をしてプールに行ってヘロヘロの私は
すこし羨ましく思いました。(私には、主がしてくださっていますが。)

2012年8月4日土曜日

わたがし

先日、
お店に入ると
わたがしをつくる機械がありました。

よく子供の頃、つくって食べたなと
懐かしくなりました。

懐かしくて見ていると
わたがし無料と書いてあります。

確か私の頃は30円とかであったように思います。











逆に無料だとしにくいのか
誰もしてないので
娘をだしにして
店員さんに聞いてしました。

真ん中に
お砂糖を入れて
少し待ちます。

回りに
わたがしが
出来始めたら
お箸を入れて
クルクル。



妻が
キャッキャ
言いながらつくっています。

娘はあまり興味なさそうです。







だいぶ出来きました。











出来たので
少し食べさせようとするのですが
いっこうに食べ物だということが分からずに
口に入れませんでした。

最終的には
顔に押し当てられて迷惑だとばかりに
そっぽを向いてしまいました。




まだ、
わたがしは、
少し早かったみたいです。

結局、楽しんだのは、大人ばかりでした。


Ⅰコリント 3
1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。


ヘブル5:
12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。


どんどん成長し、早くなんでも食べれるようになることを望みます。

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は

マタイ5:3から

天の御国は、その人のもの

と題してメッセージさせていただきます。



マタイ5:3
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです