私の好きな光景があります。
それは、曇りの日に
雲の間から光が射している
光景を見ると時間を忘れて
吸いこまれるように見てしまいます。
イメージ図。
この光景が
ヤコブの階段(天使の階段)と呼ばれたりします。
創世記 28:
10 ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。
11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
13 そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。
17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
この箇所に
荒野を旅して行く末を不安に思う
ヤコブに
その暗闇の中に現れた
神の祝福と約束、守りの
光が注がれた様があります。
先ほど、
車の運転中に見ました。
今日は、少し曇り空で天気が悪かったのですが
高架を上った時に
その光景が
自分の目に飛び込んできました。
(運転中で写真が取れなかったのが残念です。)
濃い雲間からはっきりとした光が射し開いているのを。
詩篇50:
1 神の神、主は語り、地を呼び寄せられた。日の上る所から沈む所まで。
2 麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。
3 われらの神は来て、黙ってはおられない。御前には食い尽くす火があり、その回りには激しいあらしがある。
それだけではなく
鳩の群れがその周りを
何度も旋回しており
映画のワンシーンようだった。
(写真に撮れなかったのを後悔します。)
マタイ 3:
16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
聖書の中で
鳩は、聖霊をあらわします。
また、それは良い知らせを導きます。
(ノアの洪水の終わりを知らせる。)
その光景を見ながら
こう思いました。
光はずっと照り続けているんだ。
雲は、
光を消すことはできない。
ただ、邪魔し遮るだけだ。
そして、
それをされるのは私があまりにも小さいからだ。
しかし、完全に遮ることができず
光は射しこんでくる。
主の光は強く
主は小さいものを忘れない。
ルカ12:32 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
イエスキリストに土台を置き
高みに登るなら
もう遮ることはできない。
Ⅱコリント 3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
いつも主は、
この小さなものを覚えて
励まし慰めてくださる。
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