2012年1月31日火曜日

誕生 1

あれこれ
思案した結果、

ようやく子供の名前を決めることができました。


結愛(ゆあ)

と付けました。

聖書のコロサイ2章2節から名付けました。


コロサイの2:2
 それは、この人たちが心に励ましを受け、によってび合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。


愛結(あゆ)にしようかとも思ったのですが
歌い手さんのイメージがあるのでやめました。


ギリギリまで
先生にも助言をいただき
決めることができました。

名前を付ける
大変さを知り、
名前には親の愛が込めらていることを
体験しました。

珍しい変わった名前を
選んだもんだと
思っていました。

でもインターネットで
名付けランキングを調べてみると
去年は1位 
その前は2年続けて2位に
なるくらい
人気のある一般的な名前でした。


参照
アカチャンホンポ 名前ランキンング


また、考え直そうかなとも思い
私が案を出し
即却下された
たくさん名前たちを思い出しましたが、
(一例  
忍     苗字のせいで忍者を連想させる
薫     苗字のせいで江戸時代の侍の娘を連想させる。

今度、
男の子が生まれたら 
ヤケクソで
慎左衛門之助とでも付けてやろうと思う。即却下されるとは思うが。)

結局、
そのままにすることにしました。

友達が言うには
「今の時代らしい、いい名前やん。奥さんが決めたんやろ。」
とのことだ。
私が江戸時代かぶれであることを知っているようだ。
友達とは、あなどれないなものだなと思いました。

土曜の夜にやっと決まり。
教会でみんなに
名前を知らせようと
決めました。

本当にギリギリというか
待っていたかのように

その矢さきに
日曜日の教会で
妻が
破水しました。

2012年1月25日水曜日

水曜祈祷会

今日の
水曜祈祷会は、

ピリピ3:12~14から

後ろのものを忘れ、前に走る

と題してメッセージさせていただきます。



ピリピ 3:12~14
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

2012年1月24日火曜日

くじ

今日は、先生は
特別集会に行きました。
私も行きたかったのですが
残念ながら
用事があったのでいけませんでした。

さむい日で
外に出ると
チラホラ雪が降ってました。

ニュースを見ると京都の方は
雪が積もっているみたいです。
教会に京都から来ている家族のお家の回りは
どうなのかな?
と考えていると(全然関係ないのですが)

年賀状のお年玉くじの
抽選日が過ぎていたのを
気づきました。

今まで切手シート以外
当たったことがないので
今年こそは
意気込んで
当選しているか調べました。


平成24年2012お年玉くじ 
当選番号

1等   030625
2等   071658  153787  675457
3等   2511                下4ケタ
4等   27  44             下2ケタ 


当選商品

1等
・ 40V型液晶テレビ 
・ 選べる海外旅行・国内旅行
・ ノートパソコン+デジタルカメラ+インクジェットプリンタセット
・ 快適ライフ料理家電セット             どれか一つ

2等
・ 加湿空気清浄機
・ デジタルカメラ+デジタルフォトフレーム
・ 家庭用ゲーム機
・ 日帰り体験型旅行
・ 折りたたみ自転車                             どれか一つ

3等
選べる地域の特産品・有名ブランド食品」

4等
「お年玉切手シート」



液晶テレビがいいな
と思っていると

結果は、

切手シートさえも
当たっていませんでした。

そういえば
印刷ミスをした
年賀状があることを思い出しました。

見てみると
見事、当選。

4等 切手シートが当たりました。

よく先生が、メッセージの中で

神様は私たちの問題を通して働いて下さる
そして、問題は祝福になる。

と語られてましたが、
印刷ミスというマイナス(問題)が
祝福と変わりました。

聖書の中にも
くじを引いた箇所が
結構たくさん出てきます。
有名なところで
ひとつは
ヨナの箇所です。


 ヨナ1:7 みなは互いに言った。「さあ、くじを引いて、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。


ヨナは、神のしもべなのに
神のことばに反し逃げ出しました。
乗った船が嵐でナンパしそうになります。
船員たちの原因究明のためのクジに当たります。
そしてヨナは、船から海に放り出されます。
その後、嵐は止み、ヨナは悔い改めて神の言葉に従い全うします。

できれば、こんなクジは、当たりたくないし
引くことにならないように歩みたいと思います。


もう一つは、
十字架の箇所です。


ルカ23: (1c)
33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。


この箇所は、イエス様が十字架に架かられる
約1000年くらい前に預言されものが成就するところだ。

詩篇22: (前10c)
17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。
18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。


考えればこのクジに当たって人は幸運だ。
もし今、この着物があるなら
天文学的な数字の価値の値段が付けられるだろう。
(当たった人が、その価値を知っていったかどうかは疑問が残りますが。)
どんなブランドものの服よりも価値あるものとなるでしょう。
いや値段など付けることができないくらい貴重なものとなるでしょう。


しかし、ある意味において
私たちはこの素晴らしい着物を与えられています。


ガラテヤ3:
26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。


私たちはイエスが
十字架に架かったゆえに
イエスの義の衣をいただいたのです。
罪(失敗、自己中心)の赦しという。

昔の人は、
罪を赦されるために羊を屠った(生贄)。

放蕩息子を受け入れた父親は
一番いい着物を受け入れます。
神は最初に人が罪を犯した時、
皮の衣を着せてあげた。


創世記3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。


天の神によって来て
イエスは十字架によって屠られ
私たちはその衣をいただいたのです。

ここに神の愛があり、


ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。


私たちは
神に
選ばれたのです。


2012年1月20日金曜日

日曜日礼拝

今度の日曜礼拝のメッセージは

Ⅰコリント13:13から

信仰と希望と愛

と題してメッセージさせていただきます。


Ⅰコリント13:13
 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

2012年1月18日水曜日

水曜礼拝

今日の
水曜礼拝は、

民数記14:8から

主の御心にかなう者となる

と題してメッセージさせていただきます。


民数記14:8
 もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。

2012年1月12日木曜日

エリコウォーク

昨日、
教会の姉妹と
エリコウォークをしてきました。

病気の方の救いのためです。

エリコウォークとは
簡単に言うと
毎日一周ある場所を歩いてまわり
7日目には7周回って時の声(御言葉)を叫ぶというものです。


 ヘブル11:30
信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。


私は最後の日だけご一緒させてもらいました。
姉妹は隣の隣の県に住んでいるのに
2県をまたぎ毎日来ていました。

朝、近くの駅で
待ち合わせをして
出かけました。
平日の朝から教会の姉妹に会えるのは嬉しいです。

歩けないけど(あと一ヶ月以内に出産)ついてくるという妻を連れ
三人で出かけました。

現地につき
歩きはじめました。

朝に弱い私は少しボッーとしながら
姉妹の後について行きました。



一生懸命に歩きながら
癒されるように祈りました。


祈りながら歩いていると
 とても朝焼け綺麗でした。
(終わってから撮りました。)



2周ほど回って、
これはなかなか大変だなと思いました。

祈りながら歩くので
どうしても少しづつ姉妹と
距離が離れて行きます。

少し早足で歩くのですが
なかなか追いつけない。
走っていいのかな?
なんてことを
考えながら歩いていると
姉妹がしてくれた証を思い出しました。

先日の日曜日、
足が痛かったのですが
牧師先生に祈ってもらったら
すっかり癒されたと話していました。


 マルコ16:18
蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」


その力強い歩みが
その証しが真実であることを
証明していました。

7周目に入り
着いたら
大声で御言葉を叫ぶんだと意気込みながら
歩きました。

しかし、喉をやられていたのと風邪気味なのと朝なのとで
声があまり出ませんでした。

でもさすが
姉妹は、力強い声で御言葉を叫んでくれました。
何か私は嬉しくなって笑顔になりました。
喜びがありました。

車に戻り
心を合わせて
みんなでお祈りしました。


特別集会

今週の祝日に
森祐理さんをゲストに迎えて
お話と賛美の集会をもちました。

何時間も前にこられて
リハーサルをされていました。

年に何回も公演される方が
小さい会場であるうちの教会で
入念にリーハサルする姿勢は
とても好感がもてて
教えらるところがたくさんありました。


ルカ16:10
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。


いいものにするためには
その規模にかかわらず
備えが大事なことを教えられました。

始まる前から
何かすごく期待感が増してきました。

終わったあとの感想は、
期待以上に素晴らしい集会でした。

目を潤ませながら
話されるお話は感動的で
神の臨在を感じ
また慰めと励ましを
感ずるものでした。

会堂では涙を流される方が
多数でました。(私もその一人です。)

最初から最後まで
笑顔を絶やさず
とても柔和な方でした。


テトス3:2
 また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。


Ⅰペテロ3:4
 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


そして、なにより恵まれ感動したことがあります。

前まで特別集会をするときは
私はあれやこれやと走り飛ぶような勢いで
準備から接待、賛美や祈りの奉仕と
何から何までさせてもらうような状態で
最初から最後まで落ち着けるときは
メッセージを聞いている時ぐらいでした。

しかし、今回私はやることがなく
手持ち無沙汰で準備をやることがないくらいに
時間があり
ひたすら祈りと任された奉仕(今回は簡単に司会をすることでした。)
に専念することができました。

みんなが一生懸命に奉仕し
また集会で賛美の奉仕を
する姿をみるに
嬉しくて
私は神様に感謝と喜びを
ささげずには、おれませんでした。

そこには教会と教会のみんなの成長を
目の当たりにできた
素晴らしい集会になりました。


 ピリピ2:1
1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。



2012年1月11日水曜日

水曜祈祷会


今日の水曜礼拝は、

マタイ16:23から

神の御計画

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ16:23 しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

2012年1月7日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は、

使徒26:18から

暗闇から光へ  

と題してメッセージさせていただきます。



使徒26:18
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。

2012年1月4日水曜日

水曜祈祷会

今日の水曜祈祷会は

イザヤ35:4から

強くあれ、恐れるな。

と題してメッセージさせていただきます。


 イザヤ35:4 心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」