2011年10月26日水曜日

水曜礼拝

今日の

水曜礼拝は、

Ⅰコリント13:1~4から

愛が無くては

と題してメッセージさせていただきます。


 Ⅰコリント13:1~4
1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

2011年10月25日火曜日

靴下

今日の朝、
車に乗っていると
登校途中の学生たちが、
たくさんいました。

教会の子達も
みんな登校中だなと
考えながら

信号待ちで
ぼーっと見ていると
目を疑いました。

女の子が
自転車で登校しているのですが
遠くから見ていると
何かおかしい。

片足だけ余りにも太く
白い靴下だけはいて
靴は履いてないようです。

近づいて来たので
よくよく見てみると
遠くから白い靴下を
履いてるように見えたのは、
白いギブスでした。

ギブスといえば
松葉杖を連想し、
痛々しい感じがしますが
自転車を乗る姿は
私にとっては、
カルチャーショックでした。

ギブスを片足に
颯爽と自転車を駆る姿は
なかなかたくましく

男子学生を抜かして行く姿は、
微笑ましく
勇ましい感じがしました。

ケガというハンデを
ものともしない
力強さを感じました。


ローマ5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。


神様も
私たちが
ハンデや問題などに
打ちあたっても
それを乗り越えて行く姿を
望んでおられるのではないでしょうか。
そして、その経験を活かし
成長することを。


ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。


また、その力を
神様はくださいます。

生まれてくる子供も
あれくらい
逞しく生きて欲しいと
思いました。

2011年10月22日土曜日

日曜礼拝

日曜礼拝の

メッセージは

復活のイエスを見る

と題して

ルカ24:31~34から

お話させていただきます。


ルカ24:31~34
31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。

2011年10月21日金曜日

名前

最近、忙しく
なかなかブログもアップする
時間がありません。

時間のない中で
子供の名前を決めるのに
頭を悩ませています。

うちの牧師先生に
名前を付けるのを
頼んだのですが
「(あなたも主の僕なので)自分で決めては?」
とのこと。

歯磨きのメーカーの
ライオンは
初代の社長がクリスチャンで
行っていた教会の牧師先生に
名前を決めてもらって
付けたそうです。
今では大きな会社になりました。

前から子供の名前には

という字をつけたいなと
考えていました。


 Ⅱテモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。


私が主と歩むようになって
この慎み(バランス、調和の意味が含まれる)が
とっても重要で大切であることを
痛切に感じています。

その重要な慎みの字を
名前に入れたかったのですが
まだ、確定ではないのですが
女の子のようなので
その字をいれた
いい名前が思いつかないので
今、頭を悩ませています。

聖書の意味を含んだ
日本名で違和感のないものに
してあげたいと思います。


 Ⅱコリント2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。


この箇所から
神(キリスト)の香りを放つものとして
エリという言葉に神と言う意味があるので
エリカと言う名前は
いいなと考えてましたが
この御言葉と
真逆の人が
芸能人に同じ名前で
いるので却下しました。

続く




2011年10月18日火曜日

水曜礼拝

今週の

水曜礼拝は

ヨシュア記の1章9節から

「主、はあなたと共に」

と題して

メッセージさせていただきます。

霊の賜物の

お話をさせていただいていますが

続けてさせていただきたいと思います。

また、合わせて

Ⅰコリント12、13、14を

見ていきたいと思います。




 ヨシュア1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」


2011年10月12日水曜日

水曜礼拝

今日は、

天国に入る道。

と題して

メッセージさせていただきたい
と思います。

ルカ16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

2011年10月7日金曜日

日曜礼拝

日曜日の礼拝の

メッセージは

ローマ6:5から

イエスによる復活

と題して

話させていただきます。


ローマ6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

2011年10月5日水曜日

種蒔き


10月7日(金)pm7:00~
10月8日(土)pm1:00~ 

シンガポールから

アオウ コンブウ先生とメイ コンブウ先生を

お呼びして集会を持ちます。
(大阪市天王寺区真田山町1-1、入場無料。席上献金あり。)

これで
両先生が教会に来られるのは、

3度目になります。

前回、来られたときに

先生に預言していただいた後、

こう言われた。

「種蒔くものが、大変だったり疲れるのは当然ですよ。

田を耕したり、腰をかがめたり、雑草を抜いたり。

それは種を蒔くために当然しなければ、ならないことですよ。」

優しく丁寧に、また諭すように言われた。

先生は、
私が献身者であることも、
私の状況も知らないのに、

私への適切な助言をしてくださった。

その時の
私は自分の働きや伝道が
上手く言ってないように思い、
何か失敗しているような気になっていた。

そして、
ただ無駄なことをして
疲れているのではないのかと
迷いが生じていた。

しかし、
先生を通して
そうじゃにということが
はっきりわかった。

全ては、
蒔き
刈り取りをするための
過程だった。


 詩篇126:5,6
5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。


私達が

苦労して蒔いたものは、

必ずそれに見合うだけのものとなり

刈り取ることになる。

蒔けば蒔くほど。

悲しみは、喜びに。
蒔くものは、刈り取り。
疲れは、癒しに。
貧しさは、豊かさに


Ⅱコリント9:10~12
10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。
12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。


蒔くための、必要は備えられ、増やされ

実は 豊かに実る。

感謝は、神への感謝となり

満ちるだけにと止まらない。

多くの神への感謝が

満ちあふれさせる。


そのとおり、
前回の集会よりも
備えられ、増やされたように思う。

今回の集会も
豊かな実をみることで
期待いっぱいで
楽しみで
待ち遠しい。

水曜礼拝


今日の水曜礼拝は、

申命記28:1,2から

「御声を聞く」

と題して

メッセージさせていただきます。

私の体験も交えて話していきたいと思います。


申命記 28:1,2
1 もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。