2013年6月29日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は

イザヤ41:9から

選ばれ選ぶ

と題してメッセージさせていただきます。


イザヤ 41:9
わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」

2013年6月13日木曜日

参観日

先日、
娘の保育園の参観日でした。

最初、
妻が午前中、仕事を休んで
行くというので
私は行かないつもりでした。
でもよく考えると、
日曜日の行事には
出てあげることはできないし
無理してでも行くことにしました。

当日は、
車での入園は厳禁だったので、
歩いて行きました。
(歩くと結構な距離だったので汗だくになりました。身重の妻は自転車で行きました。)

少し遅れて
教室に入ると
子供たちは、お遊戯の途中でした。

父兄の方々は、
我が子の記録を取ろうと必死でカメラをまわしていました。
私も負けないように携帯のカメラを出しました。


ネヘミヤ13:14 私の神。どうか、このことのために私を覚えていてください。私の神の宮と、その務めのためにしたいろいろな私の愛のわざを、ぬぐい去らないでください。

聖書の中には、
覚えている、覚えていなさいという言葉が
結構ひんぱんに出てきますが、
これは神様の愛のこめられた言葉であると
教えられます。


私達に気付いた娘は
一目散に走ってきて
滑りこむように
私の足と足の間に挟まりました。
数秒後に顔を見上げて
満面の笑みです。
少し抱っこしてあげ、おろすと
きゃっきゃと言いながら
走ってお友達の方に戻って行きました。

お遊戯の後は、おやつの時間です。
コップを渡して貰い入れてもらいます。
娘は、今まで私達の所に来たり回りを走っていたりしたのに
コップを配り始めるとちゃんと並んでいました。
我が娘ながら、ちゃっかりしていると見ていると
コップを持ちながら他のことに気を取られ
横の男の子に牛乳をブチ撒けていました。
我が娘ながら、落ち着きがありません。
横で先生が焦って拭いてくれてるのを
どこ吹く風という感じで
ミルクを飲んでご満悦でした。

娘は、
お絵かき、ブロック遊び、絵本を読んでもらっている間も
始終、楽しみながらも、私たちがいることを覚え、
絵を書いたら、それを見せにきて、
ブロックを持ってきて膝の上で遊び、
絵本を指さし、笑顔で私達に教えます。

それを見ていると
今まで味わったことのない
感情が溢れてきました。
見てることは、大人の私からしたら
(当たり前ですが)幼稚なことです。
それなのに
そこにいると
すごく幸せな気持ちになり自然と微笑んでいました。

何故か?
そこに自分の子供がいて、
その子供が楽しんでいる、
そして、それだけじゃなく
親がいることを覚えて、
それを喜んでいる。


申命記 12:7 その所であなたがたは家族の者とともに、あなたがたの神、主の前で祝宴を張り、あなたの神、主が祝福してくださったあなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい。


神が、私達に望んでいることもこのようです。

イエスによって
神の子となり
それを覚え楽しむ、
そのとき
私達をみて、微笑んでくれるのです。



2013年6月8日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は、


列王記6:15,16から

恐れるな。私たちとともにいる者は多いのだから。

と題してメッセージさせていただきます。


列王記6:
15 神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。
16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った

2013年6月5日水曜日

水曜祈祷会

今日の水曜祈祷会は、

歴代誌26:4,5から

主の目に適い、主を求めるものは、栄える

と題してメッセージさせていただきます。


歴代誌26:
4 彼はすべて父アマツヤが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。
5 彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。