2011年9月30日金曜日

イモ掘り 3

第2京阪が出来てから
大阪から京都に
行くのが早くなりました。

前までは高速乗るには
中途半端な距離で
乗り口も遠い、
遠回りになるし、
下道は、いつも渋滞している状態。

1時間弱で
姉妹のお家に着きました。


エペソ2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。


遠く離れていた私達が
近いものとされました。
それは本当に喜ばしいことだ
それはキリストによるものだ。

お家に着くと
お家の子が出てきてくれて
喜んで迎えてくれました。

いつも教会で
ピアノの伴奏をしてくれ
また私に歌の練習までしてくれる
教会の子です。

私の甥のようであり
息子のようであり
弟のようである。(弟にしては年が離れすぎか(^^)

とにかくかわいい
私の家族である。


エペソ2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。


信仰の巨人であるパウロもテモテには優しかった。
パウロもこんな気持ちだったのかな?


お家の中に入ると
教会の姉妹が先に来ておりました。
西宮から来たから遠かったろうに、
すぐ着いたとのこと。
韓国の祈祷院に何度も足を運ぶ
姉妹にとっては西宮、京都間は、すぐなのだろう。
この姉妹のバイタリティには、
いつも驚かされる。
今は、商店街を伝道しまっくっている。


ローマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。


まず、みんなで礼拝しました。
(賛美をして、祈って、聖書を読み、聖書の話を聞く)

そして、祈って仏壇を出し先生の指導のもと壊しました。
(こういうものは祈ってからするべきものだ。
また、先生、教会の導きの元することが良い。
手前勝手の考えでする人もいるが
勇気と無謀とは似って非なるものであり
信仰と無知もそうである。)


使徒 8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。


どんな時でも導く人は必要であり
その教えを聞き従うことは大事なことだ。


先生が壊していくところから
みんなで片付けていきました。


ローマ12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。


そして、
そのあと
姉妹のお父さんの畑で

イモ掘りをさせていただきました。


イモ掘りと聞いて
妻のテンションが
ドンドンドンドン上がっていくのを

横目に私は写真撮影に励みました。



姉妹のお父さんは

とても優しい方で

みんなが掘りやすいように

下準備をみんなしてくれました。

先生も採らしてもらいました



多分
そんなことなら
ご自分で掘られた方が
楽でキレイに
採れたろうにと

妻が「キャーキャー。」
言いながら
イモをほっている横で

感謝なことだと考えました。



たくさん

採れました。







一つの望みに生くる 

はらから共に集い
互いに仕えむつめば 

世になき安き満ちて 

あめなる喜びあふる 

麗し神の民よ
いざ共に讃え歌わん 

恵み深き主のみ名

(讃美歌Ⅱ 157 2番)




ゴボウ掘りも
させていただきました。

私もさせていただきましたが
うまく抜けずに
先が抜けずに
残ってしまいました。

なかなか体験できないことを
させていただき
ご飯もごちそうになり
とても感謝な一日でした。

2011年9月28日水曜日

イモ掘り2

お義父さんたちと
激安の家具屋さんに
行きました。

ここは家からは、
少し遠いのですが
とても安いいので、
他の家具屋さんと
値を比べると
中古の商品を置いてるんじゃないかと
思うくらいの値段ですが
アウトレットの新品を置いています。

でも、少し
名前が、恥ずかしいです。

激安 家具屋さん ウンコちゃん


良く選べば、
とてもいいものが、
安く買えます。

妻の
お腹が大きくなってきて
ベッドで寝るのが
辛くなってきたので
ソファーベッドを
少し見ました。

1万円以下で
なかなか良い
ソファーベッドが
たくさんありました。

学習机なんかも
ありえないくらい安く
まだ早いですが(早過ぎますが)
チラチラ見ました。


良いものが安いというのは
当たり前ですが
いいことです。

高級料理を
高いお金を出して
食べて
美味しくなかったら
腹が立つものです。


ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


ヘブル2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。

しかし、神様は
人を救うために
大きい代価を払い
自分の子を与えてくださった。

到底、割に合わないはずなのに
神様はそれを見て満足してくださった。
愛ゆえに。



久しぶりに
お義父さんたちと
出かけたので
二人ともとても嬉しそうです。

どこに行くからではなく、
一緒にいるってことは
大事なことだと
思いました。

聖書には沢山
親孝行について
書いています。


 申命記5:16 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。

親孝行することは、
当前のことですが、
そうすると
神様が
長く生きすることを約束してくださり
幸せにしてくださるのだから
こんないいことはない。
どんどんしないともったいない。

一緒にお茶をすることにしました。

前から行きたがっていた
甘党まえださんに行ってきました。

ここのみたらし団子はとても美味しくて
餅がモチモチで初めて食べた時、
びっくりしました。

かき氷も
おすすめで
氷が細かく
フワフワで口でとろけます。





お昼の時間だったので
本当は、一緒に
にゅうめんを
食べようと話していたのですが
ここのお店では、
メニューにありませんでした。

にゅうめんの口になっていた
お義父さんお義母さんには
申し訳ない限りだ。


お昼が、かき氷になってしまいました。
ダイエットになるのかならないのか
微妙です。

お店を出て
お義父さんたちと別れ
先生たちと
教会の姉妹のお家に向かいました。

続く

2011年9月27日火曜日

水曜礼拝

 今週の水曜礼拝は、
先週の続きの

堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かう 2 を

イザヤ49:16 の箇所から

お話させて
いただきたいと思います。

イザヤ49:13~16
13 天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。
14 しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた。」と。
15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
16 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。


神様は、
私たちを手のひらに
刻んでくださいました。

なぜ、手のひらに?
刻んだのか?

その辺も
話していきたいと
思います。

2011年9月22日木曜日

日曜礼拝

日曜日の礼拝のメッセージは、

イザヤ53:11から

イエスの光~いのちの激しい苦しみによる実り と題して

メッセージをさせていただきます。

少し十字架について

重複したことを話しますが、

とても重要なところなので

あえて何度も

お話させていただきます。


イザヤ53:11

新改訳
 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

口語訳
 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

新共同訳
 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。

2011年9月21日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

Ⅰペテロ5:8,9から

堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かう です。


Ⅰペテロ
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。


今日は、
特別に示されるところがあり

今まで、あまり話さなかったことを

お話したいと思います。

2011年9月20日火曜日

イモ掘り

昨日は、久しぶりの祝日だった。

せっかくの休みなので
遅くまで寝ようと思っていましたが、
朝早く起きてしまった。

その日の予定は、
午前中は、
お義父さんとお義母さんに
激安の家具屋さんのことを話したら、
行きたいとのことだったので、
案内すろことを約束していました。

午後からは、
教会の姉妹の家に
仏壇を取り除きに行く予定です。

お義父さんたちとの約束までは
まだ時間がありました。
ニュースをボーッと見ながら、
二度寝しようかな?と思いながら
妻がナワテベーカリーのパンを
食べたいと言っていた事を思い出しました。

ナワテベーカリーは、
実家の地元のパン屋さんです。(今住んでるところからは距離があります。)
お客さんが2,3人入れば動きがとれないくらい小さな店ですが、
食べれば何か懐かしさを感じるような味わい深いパンを売っておられます。

妻は、ここのボインパン(バターパン)が大好きです。

妻が寝ているうちに買ってきて
びっくりさせようと思いました。
急いで着替えると

妻が物音を聞き
「どこ行くの?」

「パン屋行ってくる。」と私。

「私も行く!!」とのこと。

二人で車に乗って買ってきました。
ボインパン。

なんの変哲もひねりもないパンですが
これがなかなか、やめられない。

食べるとふわっと、
噛むとバターがジュワっと。

まさに王道。

大きなパンですが、
すぐに食べてしまいました。


聖書にはパンの話がたくさん出てきます。
例え話、作り方や食べ方まで。
食物=パンとして書かれています。

有名なところではこの箇所でしょう。


 マタイ4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである』と書いてある」。


これは、簡単に説明すれば、
パン(食物、経済)は人にとって、とても大切なものです。
しかし、もっと大切なものがありますよ。
それは、天の恵み(祝福{神の口から言葉と共に出る息GODBLESS})
そして、天の真理(教え)(神の御言葉)です。

パンを食べながら
NHKの「おひさま」なる連続ドラマを見ました。
(毎日しているみたいですが、月一ぐらいでたまにしか見ません)

この日の回は
夫が、自分の夢のために
家族を置いて遠くに行ってしまいます。
それを心配して
妻がそこに行くというものでした。

ドラマの中の
夫は、妻の顔を見て一言。

「どうした?」
それを聞いて、その人の妻は困り顔。

これを聞いた私の妻は、怒っています。

「こんなこと言われたら、たまらない。(子供置いて自分も置いていって心配してき来たのに。)」
そのヒロインの気持ちになってプンプンしています。

「じゃあどう言うたらいいの?」と私。

「知らん!!」と妻。
その前に置いて行くなってことでしょう。

プンプンしているので
少しおどけて、
私はドラマの夫役のマネをして言いました。

「どうした?」と私。

キッと妻は、私を見ます。

「眉毛は、どうした?」とまたモノマネしながら私。

妻は、まだ
ノーメークで
眉毛が半分しかありませんでした。

妻は、笑いながら
「これでも大分(昔に比べて眉毛が)生えてきたでしょ。」

「そうやね。」と私。
眉毛のない妻とパンを食べながらテレビを見て
笑い転げました。


ピレモン1:7 私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。


イエスさまは、多分優しくて、楽しい方だったと思う。
難しい顔をした人のところに子供はやってきません。
しかし、イエスさまの周りには、子供が近づいてきました。
柔和で笑顔を絶やさなかったのだろう。

イエス様のように愛を与え、喜びを与え、人を力づける
そんな神の喜ばれる人となっていきたい。


ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。


どんな時でも、どんな状況であっても、
喜べる強いものとなりたい。

そのために辛いときには
祈って
自分の心に命ずる
「(神様が共にいて守って下さるから)喜べ。喜び叫べ。」と。

笑っているとイイことが、後からついてきます。
午後に会う姉妹から妻にメールが来ました。

メールを見た妻は、
「ヤッター。」叫んでいます。
聞いてみると
午後に姉妹のお父さんの畑でイモ掘りさせてもらえるとのこと。
「イッモホリ。イッモホリ。」
よくわからない自作の歌を歌っています。
妊娠してるのにイモを掘れるのかなと思いながらも
テンションの高い妻を尻目に
聖書の勉強をしていると
いつの間にか時間は過ぎて
お義父さんたちがやって来ました。


続く

2011年9月17日土曜日

私にも夢がある。

I Have a Dream.


   友よ、私は今日皆さんに 申し上げたい。 
 
今日も 明日も いろいろな 困難や挫折に 直面しているが

それでもなお 私には夢がある。

それは   アメリカの夢に深く 根ざした夢なのである。

 私には夢がある。

いつの日か この国が 立ち上がり、わが国の信条の

次の言葉の真の意味を貫くようになるだろう。

『私たちはこれらの真理を自明の ことと考える。

すなわち、全ての人間は平等に造られている』。

私には夢がある。

いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちと

かつての 奴隷主の子孫たちとが、 共に兄弟愛のテーブルに

着くことができるようになるだろう。
 
 私には夢がある。


 いつの日か  このミシシッピ州も、 このような不正義の暑さにうだっており、

このような抑圧の暑さにうだっている  この地域でさえも

 いつの日か  自由と正義のオアシスに変えられることであろう。 

私には夢がある。

いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価されるのではなく

彼らの人格の深さによって  評価される国に住めるようになることであろう。

 私には今日、夢がある。

私には夢がある。

いつの日かこのアラバマでも、 目下のところ悪意に満ちた民族主義者に牛耳られており、

連邦の決定に対して 知事の口から 「干渉」とか「取消し」という言葉しか出てこない

このアラバマ州においても、 いつの日か幼い黒人の少年たち・少女たちが、

幼い白人の少年たち・少女たちと手をつなぎ、

兄弟姉妹として歩けるようになることであろう。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。



イザヤ40:
4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。

盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

5 このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。

主の口が語られたからだ。」

     
これが私たちの希望なのである。


 こういう信仰を持って、私は南部に帰る。

 こういう信仰があれば、私たちは絶望の山から希望の石を切り出すことが出来る。

 こういう信仰があれば、私たちはこの国の騒々しい不協和音を、 

 兄弟愛の美しいシンフォニーに変えることが出来る。


こういう信仰があれば、 私たちは共に働くことができる。

共に祈ることができる。

共に闘うことができる。

共に監獄へ行くことができる。

共に自由のために立ち上がることができる。

いつかは自由になると信じることができるのだ。

その日こそ、神のすべての子どもたちが、

あの歌を新しい意味を込めて歌ことができる日となるであろう。

わが国、それは汝のもの、麗しき  自由の国。

われは汝を讃える。

わが父祖たちの死せる国、巡礼父祖の誇れる国、

すべての山腹から自由の鐘を鳴り響かせよもしアメリカが偉大な国になるべきなので

あれば、このことが実現しなければならない。
   
だから、自由の鐘を鳴らそう   ニュー・ハンプシャーの大きな丘の上から。

 
自由の鐘を鳴らそう、ニューヨークのそびえ立つ山々から。


自由の鐘を鳴らそう!
 
ペンシルヴァニアのひときわ高いアレゲニー山脈から!
 
 自由の鐘を鳴らそう!

コロラドの雪を頂くロッキー山脈から!

 自由の鐘を鳴らそう!

カリフォルニアの曲がりくね った坂道から!

それだけではない。自由の鐘を鳴らそう!

ジョージアのストーン・マウンテンから!

自由の鐘を鳴らそう!

テネシーのルックアウトマウンテンから!

自由の鐘を鳴らそう!

自由の鐘を鳴らそう!

ミシシッピのすべての丘やモグラ塚からも!

 山腹のいたるところで 自由の鐘を鳴らそうではないか!

 私たちが自由の鐘を鳴らせば、その時にはすべての村という村で、

すべての集落という集落で、すべての 州という州、街という街において、

神の子どもたちとなったすべての者らが、
 
黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、プロテスタントも
カトリックも、

 すべての者らが手に手を取って、

あの古い黒人霊歌を口ずさむようになることであろう。

「自由だ!自由だ!   全能の神に感謝すべきかな。  私たちは ついに自由になった!」


                               
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
1963.8.28.ワシントン大行進でのメッセージ



キング牧師は、
人種差別が
吹き荒れる中、
私には夢がある。(I have a dream.)と叫び
とうてい、
その当時では、
実現不可能な
自由宣言し
夢を語った。

しかし、
今それは実現し、
いや、期待し希望したもの以上のものが
考えうるもの以上のものが
現実となった。

そこにはキング牧師が
夢の実現のために
前進し努力し
その命を
注ぎ削ったからからだ。


 ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。


今、その夢の証である
アフリカ系の大統領は言う。
私たちには出来る。(Yes.We can.)と。


ある人は言う。
誰でも努力すれば、夢がかなうわけではない。
しかし、夢を叶える人は、皆すべからず努力している。と。

しかし、イエス様は、言われる。


マルコ 9:23 「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」



私たちが夢を持ち、
前進し努力し
信じ続けるのなら
それは、実現するのである。

それがイエスの名によって
するのならなおさらである。

イエスによって夢を持ち
イエスによって歩み
イエスによって信じるのなら
イエスによって実現するのだ。


 ヘブル10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。


私たちは夢を語ろう。
希望を告白しよう。

私も言おう。

私にも今日、夢がある。

私にも夢がある。

私は今日、イエスキリストによる夢があり、希望がある。