2011年10月5日水曜日

種蒔き


10月7日(金)pm7:00~
10月8日(土)pm1:00~ 

シンガポールから

アオウ コンブウ先生とメイ コンブウ先生を

お呼びして集会を持ちます。
(大阪市天王寺区真田山町1-1、入場無料。席上献金あり。)

これで
両先生が教会に来られるのは、

3度目になります。

前回、来られたときに

先生に預言していただいた後、

こう言われた。

「種蒔くものが、大変だったり疲れるのは当然ですよ。

田を耕したり、腰をかがめたり、雑草を抜いたり。

それは種を蒔くために当然しなければ、ならないことですよ。」

優しく丁寧に、また諭すように言われた。

先生は、
私が献身者であることも、
私の状況も知らないのに、

私への適切な助言をしてくださった。

その時の
私は自分の働きや伝道が
上手く言ってないように思い、
何か失敗しているような気になっていた。

そして、
ただ無駄なことをして
疲れているのではないのかと
迷いが生じていた。

しかし、
先生を通して
そうじゃにということが
はっきりわかった。

全ては、
蒔き
刈り取りをするための
過程だった。


 詩篇126:5,6
5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。


私達が

苦労して蒔いたものは、

必ずそれに見合うだけのものとなり

刈り取ることになる。

蒔けば蒔くほど。

悲しみは、喜びに。
蒔くものは、刈り取り。
疲れは、癒しに。
貧しさは、豊かさに


Ⅱコリント9:10~12
10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。
12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。


蒔くための、必要は備えられ、増やされ

実は 豊かに実る。

感謝は、神への感謝となり

満ちるだけにと止まらない。

多くの神への感謝が

満ちあふれさせる。


そのとおり、
前回の集会よりも
備えられ、増やされたように思う。

今回の集会も
豊かな実をみることで
期待いっぱいで
楽しみで
待ち遠しい。

水曜礼拝


今日の水曜礼拝は、

申命記28:1,2から

「御声を聞く」

と題して

メッセージさせていただきます。

私の体験も交えて話していきたいと思います。


申命記 28:1,2
1 もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。

2011年9月30日金曜日

イモ掘り 3

第2京阪が出来てから
大阪から京都に
行くのが早くなりました。

前までは高速乗るには
中途半端な距離で
乗り口も遠い、
遠回りになるし、
下道は、いつも渋滞している状態。

1時間弱で
姉妹のお家に着きました。


エペソ2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。


遠く離れていた私達が
近いものとされました。
それは本当に喜ばしいことだ
それはキリストによるものだ。

お家に着くと
お家の子が出てきてくれて
喜んで迎えてくれました。

いつも教会で
ピアノの伴奏をしてくれ
また私に歌の練習までしてくれる
教会の子です。

私の甥のようであり
息子のようであり
弟のようである。(弟にしては年が離れすぎか(^^)

とにかくかわいい
私の家族である。


エペソ2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。


信仰の巨人であるパウロもテモテには優しかった。
パウロもこんな気持ちだったのかな?


お家の中に入ると
教会の姉妹が先に来ておりました。
西宮から来たから遠かったろうに、
すぐ着いたとのこと。
韓国の祈祷院に何度も足を運ぶ
姉妹にとっては西宮、京都間は、すぐなのだろう。
この姉妹のバイタリティには、
いつも驚かされる。
今は、商店街を伝道しまっくっている。


ローマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。


まず、みんなで礼拝しました。
(賛美をして、祈って、聖書を読み、聖書の話を聞く)

そして、祈って仏壇を出し先生の指導のもと壊しました。
(こういうものは祈ってからするべきものだ。
また、先生、教会の導きの元することが良い。
手前勝手の考えでする人もいるが
勇気と無謀とは似って非なるものであり
信仰と無知もそうである。)


使徒 8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。


どんな時でも導く人は必要であり
その教えを聞き従うことは大事なことだ。


先生が壊していくところから
みんなで片付けていきました。


ローマ12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。


そして、
そのあと
姉妹のお父さんの畑で

イモ掘りをさせていただきました。


イモ掘りと聞いて
妻のテンションが
ドンドンドンドン上がっていくのを

横目に私は写真撮影に励みました。



姉妹のお父さんは

とても優しい方で

みんなが掘りやすいように

下準備をみんなしてくれました。

先生も採らしてもらいました



多分
そんなことなら
ご自分で掘られた方が
楽でキレイに
採れたろうにと

妻が「キャーキャー。」
言いながら
イモをほっている横で

感謝なことだと考えました。



たくさん

採れました。







一つの望みに生くる 

はらから共に集い
互いに仕えむつめば 

世になき安き満ちて 

あめなる喜びあふる 

麗し神の民よ
いざ共に讃え歌わん 

恵み深き主のみ名

(讃美歌Ⅱ 157 2番)




ゴボウ掘りも
させていただきました。

私もさせていただきましたが
うまく抜けずに
先が抜けずに
残ってしまいました。

なかなか体験できないことを
させていただき
ご飯もごちそうになり
とても感謝な一日でした。

2011年9月28日水曜日

イモ掘り2

お義父さんたちと
激安の家具屋さんに
行きました。

ここは家からは、
少し遠いのですが
とても安いいので、
他の家具屋さんと
値を比べると
中古の商品を置いてるんじゃないかと
思うくらいの値段ですが
アウトレットの新品を置いています。

でも、少し
名前が、恥ずかしいです。

激安 家具屋さん ウンコちゃん


良く選べば、
とてもいいものが、
安く買えます。

妻の
お腹が大きくなってきて
ベッドで寝るのが
辛くなってきたので
ソファーベッドを
少し見ました。

1万円以下で
なかなか良い
ソファーベッドが
たくさんありました。

学習机なんかも
ありえないくらい安く
まだ早いですが(早過ぎますが)
チラチラ見ました。


良いものが安いというのは
当たり前ですが
いいことです。

高級料理を
高いお金を出して
食べて
美味しくなかったら
腹が立つものです。


ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


ヘブル2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。

しかし、神様は
人を救うために
大きい代価を払い
自分の子を与えてくださった。

到底、割に合わないはずなのに
神様はそれを見て満足してくださった。
愛ゆえに。



久しぶりに
お義父さんたちと
出かけたので
二人ともとても嬉しそうです。

どこに行くからではなく、
一緒にいるってことは
大事なことだと
思いました。

聖書には沢山
親孝行について
書いています。


 申命記5:16 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。

親孝行することは、
当前のことですが、
そうすると
神様が
長く生きすることを約束してくださり
幸せにしてくださるのだから
こんないいことはない。
どんどんしないともったいない。

一緒にお茶をすることにしました。

前から行きたがっていた
甘党まえださんに行ってきました。

ここのみたらし団子はとても美味しくて
餅がモチモチで初めて食べた時、
びっくりしました。

かき氷も
おすすめで
氷が細かく
フワフワで口でとろけます。





お昼の時間だったので
本当は、一緒に
にゅうめんを
食べようと話していたのですが
ここのお店では、
メニューにありませんでした。

にゅうめんの口になっていた
お義父さんお義母さんには
申し訳ない限りだ。


お昼が、かき氷になってしまいました。
ダイエットになるのかならないのか
微妙です。

お店を出て
お義父さんたちと別れ
先生たちと
教会の姉妹のお家に向かいました。

続く

2011年9月27日火曜日

水曜礼拝

 今週の水曜礼拝は、
先週の続きの

堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かう 2 を

イザヤ49:16 の箇所から

お話させて
いただきたいと思います。

イザヤ49:13~16
13 天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。
14 しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた。」と。
15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
16 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。


神様は、
私たちを手のひらに
刻んでくださいました。

なぜ、手のひらに?
刻んだのか?

その辺も
話していきたいと
思います。

2011年9月22日木曜日

日曜礼拝

日曜日の礼拝のメッセージは、

イザヤ53:11から

イエスの光~いのちの激しい苦しみによる実り と題して

メッセージをさせていただきます。

少し十字架について

重複したことを話しますが、

とても重要なところなので

あえて何度も

お話させていただきます。


イザヤ53:11

新改訳
 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

口語訳
 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

新共同訳
 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。

2011年9月21日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

Ⅰペテロ5:8,9から

堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かう です。


Ⅰペテロ
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。


今日は、
特別に示されるところがあり

今まで、あまり話さなかったことを

お話したいと思います。