2012年7月31日火曜日

最近、とても暑いです。

あまりの暑さに
夜中、
娘が耐えきれず何度も起きるほどです。

初めは、なんで起きるのか、(ほとんど夜泣きしないので)
わからなかったのですが
いつも
汗だくで泣いているので、
やっと気付きました。

ということで、
節電と経費削減と妻の方針(冷暖房を出来るだけ使わない)のため
クーラーをほとんどつけなかったのですが
娘のために
寝る前にクーラーで部屋を冷やしてから寝ることにしました。


 マタイ7:11
 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。


ひさしぶりに、
私は涼しいな風の吹く中で喜んで寝ました。
娘も夜起きることなく
ぐっすり寝たのですが
どうも調子が、よくなさそうです。

その日は
日曜日だったので
教会に行きましたが、
着いて抱いていると
体が熱っぽく
どうも風邪をひいてしまったようです。

娘のためと思い
良かれとしましたが
うまくいかないものです。


ローマ8:28
 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。


私は良いと思ったことをし最初は良いように見えましたが悪い結果がでてしまいました。
しかし、神様はすべてを働かせて良いものとして下さります。悪い事さえも。

よく娘を愛して下さる方々に抱かれるのを横目に
いつも通り最後のお祈りも終わり抱っこして見ると
だいぶしんどそうで、熱も高いようです。 

牧師先生に祈ってもらい帰りました。

ルカ4:
39 イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。
40 日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。


帰る道中も、
ウンウングズグズ言っておりました。
妻と「祈ってもらったから、明日起きたらもう治ってるね。」と話しました。
そして、明日起きたら完全に治ってるようにお祈りしました。


 エレミヤ(口語)30:17
主は言われる、わたしはあなたの健康を回復させ、あなたの傷をいやす。


次の日、
風邪が癒され
娘の体調はいつも以上に元気になりました。

足をバタバタさせて笑いまくっていました。
私が「風邪が治って良かったね。イエス様が癒やしてくれたね。」と話しかけると
「アーアー。」と叫び上機嫌です。

少しするとお腹が空いたの騒ぎ始めました。
私が娘に「ちょっと待ってね。今ミルク、ママがつくってくれているから。」というと
「ンーンー。」と待ちきれない様子です。
「ンーンー。マーマー。」
んっ???あれ?
「今、ママって言ったね。ママっていったんか?」(空耳かも、でも二人とも、そう聞こえました。)
すると娘が、首をコクンとうなずきました。(偶然だと思いますが、すごいタイミングでした。)

妻と私が騒いでるのをびっくりして娘は見ています。
私は「パパって言ってみ。」と何度も言いましたが、
ミルクが欲しくて、それどころではありません。

パパと呼ばれる日は、もう少し先なようです。

2012年7月25日水曜日

水曜礼拝


今日の水曜祈祷会は、

マタイ5:12から

天における報い

と題してメッセージさせていただきます。


マタイ 5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。

2012年7月21日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は、

イザヤ44:2,3から

かわいた地に豊かな流れを注ぐ

と題してメッセージさせていただきます。



イザヤ 44:2,3
 2 あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。
3わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。

2012年7月18日水曜日

離乳

うちの娘は、
よくミルクを飲みます。
160,180mlあげても
息継ぎするのも忘れているように
一気に飲む時もあります。

そして、お腹がすけば
サイレンのように泣きだし
(街中で泣きだすと何事かと注目を浴び、恥ずかしいです。)
何をしてもやまず
手がつけられないほどです。


Ⅰペテロ2:2
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。


聖書が言っている御言葉を求めるレベルは、
(我が娘を見ると)これほどのものかと、
反省すること、しばしばです。

思い出してみれば、
生まれたばかりの時に
すぐにミルクを貰い、もっと欲しくて
口をチュパチュパさせていたのを母が見て驚いていました。

求め飲む乳によって
日に日にみるみる成長し
最近はプクプクし過ぎてるくらいです。


Ⅰコリント 3:2
 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。


どんどん成長してきたので
そろそろ
離乳食をあげはじめることにしました。

最初から大人と同じものを食べられれば楽なのですが
そうもいかないので段階を踏まなければなりません。

お粥の汁からあげはじめカボチャのすったもの、
昨日は、ソフトクリームを
ほんの少しなめさしてみました。

はじめは、
冷たかったのか、顔をすぼめ
びっくりした顔をし
眉をハの字して
私を見ます。(私に何を食べさすの と訴えてるようです。)

でも、おいしかったのか
少したつと
ニコリと笑い
「アッー。」と叫び
もっと欲しいと要求してきました。

まだ、たくさんあげるのには早いので
欲しいとグズグズ言っていましたが
それくらいにしておきます。


ヘブル5:
13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。


食べれるものによって
娘の成長を
ヒシヒシと感じます。
またそれによって、判別することができます。


ヘブル 5:12
 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。


御言葉を求めることは、いつまでも乳飲み子のように求め、
そのことによって信仰を成長させ
御言葉を聞き食べることには大人になり堅いものも(受け取りににくいようなものも)
自分の成長の糧としていきにたいと思います。

2012年7月13日金曜日

寝返り

先日、
初めて娘の寝返りするのを見ました。
今週に入ってできるようになったとは聞いていたのですが、
やっと目撃できました。

早朝、妻が「起きて、起きて。」というので、
眠い目をこすり、
何事かと思うと
娘が寝返りしていた。
目が合うと口を大きく開き笑ってくれる。
少しの成長ですが
それを見るのは嬉しいものです。

Ⅰコリント3:7
それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。


よく昔母に、
「大きくなったら全部自分で育ったみたいに偉そうにする。」と怒られました。
娘の成長を見る中で、
自分のしたことなど、ほんの一握りで
親やまわりの人によって
何より神様によって(肉体的にも信仰的にも)
自分が成長させていただいたんだと痛感します。

成長して寝返りりできるようになったのは嬉しいのですが
困ったこともあります。
寝返りを繰り返し、
布団の外まで飛び出してしまい泣きだすことです。
一応のためクッションで飛び出ないようにし
夜中に何度か見るようにしました。
それで気付いたのですが
とても寝相が悪い。
夜中に見ると枕に足を向けていたりします。

妻も寝相が悪いのですが、
それを受け継いだようです。
(夜中、妻がいなくなったと思い、
びっくりして探しまわったあげく、
ベッドと壁の間に挟まっていたときは、さすがに笑いました。)

夜中、妻と娘がダンスでも踊っているように
布団の中で芸術的なポーズで寝ているのを
見るのが私の最近の日課です。


ヨブ34:21
神の御目が人の道の上にあり、その歩みをすべて見ているからだ。


神様も、私が家族を見ているように、見て下さっており
私達の歩みが全能者から見れば、
たとえ滑稽なものであっても
愛して見守ってくれているのではないかと思います。


Ⅰヨハネ4:16
 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

2012年7月12日木曜日

自動販売機

毎日、
車で通る場所に
自動販売機があります。

100均一自販機で
(東京の方が、大阪に来て
100均一だったり激安自動販売機の値段がバラバラなのを見て驚くようです。)
車も止めやすいので
私はそこでコーヒーをよく買います。

昨日、そこで買おうと思い
お金を入れると
ガタンという音とともに
当たりつきくじのルーレットのピピピと
音はするのですが
いっこうに肝心のコーヒーが出てきません。

昔、私が子供の頃
教会の近所で故障した自販機があり
お金を入れてボタンを押すと
大量にジュースが出てきた経験はありますが、(この方が珍しい経験かもしれません。)
出てこなかったのは、初めてです。
連絡先が書いてあったので電話しようかとも思ったのですが
時間もないのであきらめました。

今日また、よせばいいのに
娘を乗せて病院に予防注射を受けに行く時、
買ってみました。
お金を入れて、昨日と別のボタンを押しました。
ガタン、ピピピと音がするのですが
出てきません。

コーヒーは、飲めず
私は少額では、ありますが
200円を無駄にしました。

私はこういう時、
こう考えるようにします。

ここで、嫌な気持ちになったり
怒ったりすれば
200円を払って
嫌なことを貰ったことになる。
(本当にコーヒーが欲しいのならクレームの電話をかければいいのですが)
そんなものお金をもらっても貰う必要はない。
マイナスにマイナスが重なることになります。

イエス様にかかれば
病気さえも
癒されるためのものです。
いつもイエス様のフィルターを通ると
プラスに変わります。

私もそんな風になりたいと思います。

むっとする気持ちを吹き飛ばして
妻と笑いました。
「昨日も出てこんかったのに、今日も出てこないよ。これでコーヒー2缶分痩せたね。」
「それはコーヒー飲むなってことじゃない。」
車の中で、娘がうウトウトする中、二人の笑い声が響きました。


箴言24:16
正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。

2012年7月7日土曜日

日曜礼拝

明日の日曜礼拝は

イザヤ53:1から

だれが信じ、だれに御腕は現れたのか

と題してメッセージさせていただきます。


イザヤ53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。

2012年7月6日金曜日

散髪

どんどん蒸し暑くなってきたので
先日、
散髪してきました。

どうも、私は、床屋さんに行くのが苦手です。
何故かというと、
中学生の時は、公立の学校に行っていたので
ある一定の期間で頭髪検査というものがあり(今もあるのかな?)
細かい規定があり
こまめに床屋さんに行かないと駄目でした。
学校の検査が近づくと
床屋さんも、ごった返します。
(早くから行っておけばいいのですが、ずぼらな私は、いつもギリギリ。)
理髪師さんも、血眼になりながら急いで髪を切っています。
金型があるようにみんな同じ髪型にされます。
しかし、
何分かおきにカランカランというドアの開く音とともに
入ってくる学生の群れ、
どんどん座る場所もなくなり溢れかえる待合室、
一人終わり出て行くと二人入ってきます。
それと同時に理髪師さんも焦ってきます。
私の順番が来た時、
相当、急いでいたのでしょう
どうするかも聞かずに切り始めます。
(小学生の時、初めて行く床屋さんでスポーツ刈りと言っているのに
丸坊主にされた時はびっくりしました。)
どうせ、同じ髪型にするので、それは問題ありません。
髪を濡らし、切り、剃刀で剃ります。
顎が剃り終わり、
もみあげを剃るとき、
理髪師さんが「あっ。」と声をもらしました。
今でもその時の顔と声を覚えてます。
その後、すぐに髪を洗い顔をあげて鏡を見てみると
結構な量の血が頬を流れていて
血を手で押さえながら、急いで自転車に乗って逃げて帰りました。
(幸い綺麗に切れていたので、すぐにくっつき何ともありませんでした。)
それから、散髪をする時、
後ろに立たれるのが嫌で(ゴルゴ13のようです。)
床屋に行くの億劫でした。
大学時代は、
そんなことから髪をロン毛(って、まだ言うのかな?長髪。)していたほどです。


民数記6:5 彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。


聖書の旧約の時代を見ると
ナジル人という
(代表として。サムソン{毛を切ると超人的な力を失った。}、サムエル、バプテスマのヨハネ他)
今でいう献身者や祭司や牧師のような人は、
髪を切りませんでしたが
私も献身者ですが、今は新約の時代だし、
こぎれいにする方が栄光を返すことになるでしょう。

そんなわけで髪を切りました。
今は便利で
私の嫌いな顔剃りもなく、
10分で終わり
1000円という激安で切ってくれる、
QBハウスさんに行ってきました。

問題は、切ってくれる人が、
どの人に当たるかわからないので
へたくそな人に当たる可能性があるのが怖いところですが、
比較的上手い人ばかりいるところを
牧師先生に教えてもらったのでそこに行きました。

ショッピングモールの中にあるので
待ってもらう妻と娘も安心でした。

前に並んでいる人が
若い女性だったので珍しかったです。
(お客さんの中で女性は一人だったので、男の人より丁寧に切ってもらえてたように思います。)
今日は、上手い人にあたりました。
さっぱりしたので
次の日曜のメッセージもがんばりたいと思います。


 ピリピ3:
20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。



2012年7月4日水曜日

水曜礼拝

今日の水曜礼拝は、

ルカ12:32から

小さな群れよ、恐れるな。

と題してメッセージさせていただきます。


ルカ12 32
 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

2012年7月3日火曜日

プール

今週の日曜日は、
洗礼式でした。

いつもは、
川で洗礼式をしていたのですが
あいにく天気が優れず
教会のプールですることになりました。

前日から用意をして
プールを膨らましたのですが
大きい物などで
なかなかう上手くいきません。
しょうがないので
ポンプを二つ使い
一つは手で一つは足でと
四肢を駆使して
汗だくになりながら
空気を入れるのですが
入ったようにありません。
よく見ると空気を入れる口の少し横に
大きな空気を抜くための穴を塞いでいませんでした。
そりゃ膨らむはずが、ありません。
愚かなことをしました。


 マタイ7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。


先の間違いを改めて
口を塞いで
空気を入れます。
それでも時間はかかりましたが、
母や妻と交代しながら
なんとか入れることができました。

当日になると
3名が受洗するはずが
4名になりました。
嬉しい誤算です。

水の出し入れがあるので
洗面所に近い
廊下に洗礼槽になるプールを置くことになりました。

水を入れるのですが
最大750L入るので
これもなかなか大変でした。

兄弟が責任もって
プールの監視員のごとく
水を入れてくださったので感謝でした。






礼拝堂で
洗礼式礼拝をし、
途中、廊下に出て
洗礼を受けました。
プールの大きさは
洗礼を受けるのに
ちょうど良くピッタリでした。
川で受けるのも良かったですが、
やっぱり、
教会で受けるのが最高だなと思いました。
新しい歩みを踏む出す、
嬉しく感動的な瞬間でした。


ローマ 6:4
 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。


礼拝堂に戻り
受洗した方々が
証をして下さいました。
聞いてるうちに感動して涙が出ました。


マタイ3:
16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」


礼拝後、
ホースで吸い出すのと
バケツリレーで水をくみ出し
汗をかきかき
片づけました。
空気を入れたり水をいれたり場所が狭かったり
不便なこともたくさんありましたが、
逆にそれが楽しかったように思います。
また一致して働きができたように思います。


エペソ4:
3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。


たくさんみんなが奉仕して下さったので
片づけは、あっという間に終わりました。
そのうちに
洗礼槽のある教会堂も与えられるでしょう。


 ピリピ4:19
 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。